2006年10月14日 (土)

執事から暴走族

朝晩冷え込むようになったなりね〜皆しゃん風邪には注意なりよ〜
さて、ここんとこ毎週金曜日に大量にレンタルしているDVD。今日も夕飯後にBeたんとレンタル屋へ返却に行きついでにレンタル。Beたんは、なんと大昔のビデオに手を伸ばした。鈴木あぐりやアイルトンセナの時代のF1物である^^; そして我が輩も8本の懐かしいDVDをレンタル。金曜の夜から土曜の夜中?朝にかけて一人鑑賞。そして案の定お寝坊さんであります^^; 

そしてお昼近くに起床したところ、Beたんが「炒り卵作ってこようか?」と提案してくれた。金曜の夜に作ると言い張っていたのだが、おかずも沢山あるから明日のお昼にでも作りなさいと言っていた代物である。そこでお願いしてからしばらくすると2階からおぼんに載せられた炒り卵と焼きソーセージと1膳のご飯。炒り卵は自分が食べたいのではなく、作りたかったようである。Beたん自身も味見をしたようで「ちょっと食べてみたけど味があまり無いかも」との事。味の事よりも作ってくれた事が超嬉しかったなり〜(^v^)有り難く頂戴いたしました。

そして午後2時30分頃、土曜日のプールの時間が迫ってきたので、今日は自転車で行くことにしていた。最近折り畳み自転車を5000円で購入していたなり。自宅にママチャリはあるんだけど、義母の私物。使おうと思えば貸してくれるのだろうが、使用していない時には、訳のわからない荷物置き場と化しているので使おうと思った時には減なりする状態になっていたので、安さにかまけて購入したんであります(苦笑)

そして自転車で出発!Beたんとのチャリでのおでかけは初めて。最初我が輩が先頭で走っていたのだが、気が付くと横に並んで走行してるし、おまけに幅寄せしてくるからアホ臭い事故にもなりそうになったので、Beたんを先頭に走らせる。すると道路の真ん中とか右側を走るし、我が輩が来てるのを確認するように後方を向くし、一時停止場所ではタイヤ1個分はみ出すし、脇見運転しまくりでフラフラしてるし(--)!後ろから「もっと左」「前見て運転しなさい」「車来るから一時停止して」など司令官のように指示を出すも無意味な状態(ーー;)とりあえず行きは無事プールに到着!

我が輩もBeたんのスクーリング中に泳ぎ、終了してから近くのスーパーで買物をしてから自宅まで又自転車。丁度夕方という事もありかなりの人や自転車や車が横行。Beたんも行きで要領を得たのが調子に乗りだし、ちょっと道路が斜めになっているところで転倒!幸いにも停まりそうになっての転倒だったので、ケガもなかったから良かったもののこっぴどく叱った。それからも危険運転を続けるBeたんに「そこ右」と言ってるのに左に行くし、「右も左もわかんないのか〜」と怒鳴りながら帰宅の後半には二人とも無言に(苦笑)地元近くになると道もわかっていたのかギアを5速に変えてどんどん先に行き始めた。角を曲がっても我が輩は同じペースで走行していたので、Beたんも付いて来てるか心配になったようで一旦停止して待機していたり( ̄∇ ̄;) やれやれと気苦労の多い初自転車おでかけでありました。「もう絶対Beとは自転車でおでかけしないぞ!」と帰宅してから言ってはおいたが、成長の過程でもあるから又来週も実地訓練しなくてはならないだろうな〜。

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2006年4月 3日 (月)

後少し^^;

昨夜の大雨と数回の地震とはうって変わって今日は快晴!でもすっごい風でやんした。外を歩く人たちがライオンキングよろしく!状態になっていたっす(笑)

さて、本日は最終の買い物〜Shi-マンの入学式に着る洋服を買いにmi-tanの職場があるtawarayaへ行ってきますた。とりあえず、我輩が良いと思ったもの2着を試着させ、携帯で撮影して会社に行っている総司令官に送ってお伺いを立てた...「なんかもっといいの無いの〜?」と気に入らない様子^^;「お母さんが選ぶから買わないでおいて」とお返事が来たので、この日は靴下とか、運動靴とかその他のものを購入して帰る事にした。すると総司令官から「後少しでお店に付くから待ってて〜」と電話が来まして、総司令官が来るまで待機する事になった。 で、総司令官と合流し我輩が選んだものの色違いを購入して(笑)無事終了したのであります。^^; ついでに我輩もブラウスを買ってもらっちゃいました。有難うございました( ̄∇ ̄;)

それから夕飯の買い物をして帰宅すますた。 なんとノンキな奴!と言われそうですが、こうゆう学用品は急ぐと損をするだけだし、割引にもなっているので、こんな時期が良いんであります。後は郵便局で新規通帳を作るだけでやんすかね〜。

購入したShi-マンの洋服姿は入学式の日のブログで公表しますゆえ、今しばらくお待ちくだされ〜

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2006年3月24日 (金)

色々と〜あるの〜

今日は終業式。Beたんの2年生生活も今日で終わり、児童集会では、Beたんが知っている先生方が数名転勤されると言っていた。なんか、自分の子供だけど成長はあっという間って感じがするっす。

我輩はBeたんを送り出してから各種4月から切り替わる申請書の記入作業をしていた。
我が家には難病児が2人もいるので、提出も2人分になる。それぞれに必要な書類をコピーしたり、記入したりかなり面倒な作業であります。申請用紙もWordか何かで作ってあるものにPCで記入出来るといいのにな〜って思うっす。住所、氏名、年齢、生年月日等役所側も把握している事を毎年のように記入しろと書類を送ってくる。

ゴーシェ病は今のところ一生涯治る病気では無いから小児慢性特定疾患の書類を提出する意味が無いと我輩は思うんだけどね〜。まあお役所仕事ですから、効率悪いのはあたりまえざんす。怠慢なりね〜(苦笑)

今回は2種類の書類×2人分=4枚の医師からの診断書が必要となる。昨日投与の時に書いてもらう予定でいたのだが、書類の持参を忘れた事に気が付いたのが高速に入ってからだったので、本日診断書だけ記入してもらいに又千葉こども病院へ行ったっす(自爆)午前中に書類を記入し終わり11時30頃自宅を出て病院に到着したのが12時30頃それから書類が出来上がるまで2時間30分も待ちまして^^;病院から出たのが午後3時。今日はたかやんの学校の歓送迎会があるので会場まで車で送る事になっていたからこのまま役所へは行く時間が無いな〜と今日は役所へ行くのをあきらめたなり

そんで今日の夜は、グレースじじ事実家の父ちゃんの友人がお線香をあげに上京してくるというので、夕食を共にする事になっており、3年ぶりに逢うおじさんはとても元気そうであった。父ちゃんの分も長生きしてほしいな〜って思ったなり。昔話に花が咲き、子供達ともいつも逢っているがごとく対応してくれたし、Shi-マンとロブスターの水槽を前に両手を広げて「大きいね〜」とジェスチャーもしてくれたりと、ほんと嬉しい限りであった。おじさんとの時間もあっという間に終わり又巡業で行くからね〜と約束をして^^;お別れをした。

今日は夕食前からBeたんがやらたと「ムシキングやりたい〜」とほざいておった。何度となく駄目じゃ〜と伝えていたのだが、彼もあきらめず何度となくつぶやいておりまして、最終的な結論は「じゃあビデオ借りに行こうぜ」と、訳わかめな回答(笑)で、久々にレンタルショップへ子供達と向かった。レンタルしたビデオは子供関係ばっかりで^^; 自分が見たいDVDは沢山あったんだけど、見る時間が無いと諦めて帰ってきました。帰宅したのが午後10時だったんだけど、「1本だけ見る(▼▼メ)」と切れ気味なBeたん、今日から春休みという事もあり許可をしたなり。Shi-マンは明日という言葉を忠実に守り今日もすんなり布団へ行ってくれたっす。兄妹なのになんでこんなに違うんでっしゃろうな〜(笑)

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2006年3月20日 (月)

春スキーin菅平高原3日目

3日目の朝は教員と化したたかやんの起床コールから始まった。スキーの疲労に子供達も我輩もボーっとしてしまったなり^^;今日は昨日とは打って変わって大快晴である。降雪後のゲレンデなので、コンディションも抜群であろうと思ったなり〜
朝食後に出発用に荷物を詰め、スキーウェアに着替えて10時頃にゲレンデへBeたんはゲレンデへ行く前にあちこちに出来ているツララが珍しかったのかツララ収集をしておりました(笑)

ゲレンデに行く前から我輩はな〜んか変な感じ....この時期もちろん花粉が始まっているので、いつものアルメディー鼻炎錠は常飲していたのだが、花粉とはどうも違う症状が出てきたなり。とにかく水のように鼻水が垂れてくる^^;朝からず〜っとである。ゲレンデで滑っている途中から鼻水が垂れて来るので、何度となく止まり、鼻水をかむ作業を繰り返す。朝飲んだ薬も全然効き目が現れず、仕方なくいつものように鼻栓とマスクをする事にしたなり(苦笑)そしてリフトに乗る度に鼻栓の交換、下手すると鼻水が滴り落ちて来るので、用心しながら(T.T)06

それでも子供達と楽しくスキーが出来たし、お昼に入った昨日と違うロッジにはなんと!ポケットティッシューが販売されていたので、神ならぬ紙の思し召しじゃ〜と大量に6個購入!それでも昼食が終わる迄には3つのポケティッシュを消費した。鼻栓をしていないとくしゃみと同時に鼻水がまことちゃん(知ってる?)のように凄い勢いで出て来てしまう程である。

そんな最悪な体調だったにもかかわらず、4時近くまで楽しんで滑ってなり。Beたんは今シーズン2度目という事もあり、リフトから降りるとスタコラサッサと滑り始め、かなり上達した。Shi-マンも最初の頃に比べたらかなり上手にカメラ目線も出来る程余裕が出来たなり。ただ、エッジの使い方とかスキーの板の状態などの説明は滑りながらでないと感覚的にわからないので、手話ボキャブラリーの少ないShi-マンには難しい。よって後は体感的に覚えて行くしか無いのかな〜と今年は思ったなり。来シーズンのスキー前にはスキー用の手話も少し覚えてから行こうかなと思ったなり。それでも教えたわけでも無いのに、まっすぐ乗れるんだよね〜子供って適応力抜群でやんすな〜

そして宿で着替えを済ませ「お世話になりました〜」と車を出すも宿前の急斜面をスタットレスタイヤのステップワゴンが登っていかない^^;2度トライするも昇りきったところで空回りが始まってしまう^^;奥さんがご主人を呼ぼうとしてくれたが、バックなら大丈夫ですよ〜と言い張ってバックで登る。宿に宿泊されていたスキー教室に通っている女学生2名も応援に駆け付けてくれた。が、昇りきった所で又空回り(^^;;;) そこで我輩と奥さんと女学生2名で反動を付けて何度か渾身の力を振り絞り押すとやっとこさ昇り切った!女学生の一人は空回りを続けるタイヤの傍だったので、トレーナーからジーンズまで水しぶきを被ってしまい、びしょ濡れに^^;「こんなに濡れてごめんね〜ほんと有難うございました」と皆に丁寧にお礼を言い、宿を後にした。本当にすみませんでした^^;

高速に乗り渋滞もなく途中子供達も撃沈し、我輩も何度となく睡魔に襲われるも何とか頑張って起きていた(笑)が、埼玉突入と共に渋滞に入り、約2時間ぐらいノロノロが始まった。渋滞もようやく終わり高速を降りて柏から16号を船橋方面へ向かう途中のデニーズで夕飯を取る事にした。その頃から我輩の体調が鼻水はもとより、それ以上に体がダルくなってきた。子供達の食事は相変わらずのんびりで、そのうち進まなくなったので、いつもなら食べるまで待っているのだが今日は早々に帰る事にした。

体調が悪い状態で休暇の閉めとなったが、子供達が楽しんでいる間はダルさが出なくて良かったと思ったなり。もう歳でやんすかね〜(^^;;;)

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2006年3月19日 (日)

春スキーin菅平高原2日目

朝から雪がチラついて、時折風も吹いていて、今日は寒くなるな〜なんて思っていたなり。朝ご飯を頂き支度が早々に終わった子供達は、雪で遊びたくて仕方なかったようで、早速出かけていった。自分達の支度も完了し子供達を呼びに外へ出るも姿が見えず声のする方へ向かうと、階段も無いような所へ滑り台のように滑って降りたらしく、雪の深い所で楽しんでおられました(笑)Beたんはかろうじて登って来れたのですが、足腰がまだ弱いShi-マンは登って来れず
「ママ〜ここまで来てくれる〜?」( ̄∇ ̄;) そんな所へですか?というような場所へ...ええッええッ行きましたとも。スキーをする前に疲労度UPって感じなり(苦笑)

宿からゲレンデまでは大人の足なら徒歩1〜2分というゲレンデの中腹から入ったところである。が、スキーブーツという子供にはやっかいな代物にて子供にはかなり急勾配な昇り坂を行き下り坂を降りて行くのでBeたんは慣れたもんで時間はかかったけどゲレンデへ到着。問題はShi-マンである。たかやんが自分の板と我輩の板を持って行ってくれ、我輩は子供達の板を持ち向かっていたのだが、ゲレンデまでの道は前日の雨と雪とで板氷のようにツルツル状態^^; Shi-マンを片手で持ち支えながらだったので、たかやんが板を取りに来てくれた程 さらに疲労度UPであります^^;

なんとかゲレンデに到着するもBeたんとたかやんは早々に滑りに行ってもらい、Shi-マンに板を装着するも1年ぶりとなるので、彼女的にはSKIよりも雪遊び〜って感じでして^^; SKIブーツを履いたまま犬のように四つん這いになって走り回ったり、雪だるまを作ったりして楽しんでくださいました。

途中たかやんに交代してもらって我輩もBeたんとスキーをしてきたのだが、なんせ緩斜面なもんで、何するでもなくおばさんスキーをしておりました^^; そろそろShi-マンも滑らせなくてはという事で、雪遊びをしていた所にちょっとした小山が出来ていた事もあり特設簡易3mゲレンデを作成し、そこで練習を3回ぐらいさせた。1年ぶりだったけど、3度目には転ばずに上手に滑れた。Shi-マンもこれで気を良くしたようで、丁度お昼時という事も重なり練習がてらにリフトにも乗らず一番近場にあった場所までShi-マンと手を繋いで滑って行く事にした。06

緩斜面という事もあったのだが、Shi-マンも上手にバランスを取って一度も転ばずにロッジまで到着!本人かなりご満悦であった(笑)お昼は我輩とたかやんは、朝から子供達が残したかなりの量の朝食を根性飯(これ以上食べられないという程食べさせられる事)状態で食していたので、たいしてお腹が空いておらず(苦笑)体のデカいたかやんが注文したのはホットケーキ(笑)Beたんは超特大のハンバーグカレー。Shi-マンは窯焼きピザをご注文だったので、我輩はその残りを馳走になる事にした。特大カレーを注文したBeたんであるが、食している途中で居眠りを始めてしまった^^;朝からハッスルしてたしの〜で30分ぐらい寝かせたなり。

それからShi-マン今年初となるリフトへ乗り、緩斜面が多い所へ到着!たかやんとBeたんを先に行かせ、Shi-マンの後ろへ回り込みウェアの肩口を掴んで我輩もボーゲンをして滑り始めた。緩斜面とは言ってもブレーキの効かない状態ではかなりスピードが出る箇所もかなりある。股関節が吊る一歩手前状態の大バーゲン状態であるが、「Shi-マンの為じゃ〜」と気合い入れて頑張っておりました(笑)ブレーキ無しのShi-マンでも大丈夫な所になってそろ〜っと手を離す、滑れてるじゃなぁ〜い!と思ったのもつかの間、すぐさま察知して「捕まえてて〜」と振り返りながら文句タラタラ^^;その都度「前見て」と手話をする。それを何度か繰り返していくうちに手を離して隣を滑っても大丈夫になってきた。3本目のリフトに乗った時にたかやんと交代してShi-マンを撮影しようとしたんだけど、スピードが出る箇所でたかやんはShi-マンから手を離し一緒に滑って来るわけでもなく、その場にとどまってくださりまして、案の定加速してくるShi-マンを我輩も捕まえようとしたのだが、無理だとわかったので、スキー板でShi-マンを引っ掛けた。そして転倒!初めて大きな尻餅を突いてしまったShi-マンは大泣き^^;そこで労ると悲劇のヒロインとなってしまう事を予想したので、あえて「泣かないの!」とスパルタ対応をした。「みんな同じに転んでも我慢して頑張ってるよ」と伝え、半べそ状態だったが、そのままリフトへ^^; しかし、滑り出し、手を離すと「離さないで〜〜〜〜」と叫んでくださいました。(笑)

昼食時に睡魔が取り憑いてしまっていたBeたん。しばらく滑っているとリフトで睡魔が襲ってくるようになったので、「宿で寝ようか」と言うも、「まだ滑る(▼▼メ)」と切れ気味におっしゃるので、SKIを始めたのだが、リフトに乗るとあの心地よい振動に又睡魔が襲ってくる状態になった。まあ、明日もあるからという事で午後も早々に切り上げる事にした。

この日は豪華な夕飯が並び、我輩の好物の馬刺も出た。子供達にはハンバーグやスパゲティーなど子供好みのものが並んだんだけど、Beたんは大人用のソバ、ニジマスの塩焼き、ステーキの方が良いようで、たかやんと交換^^; そしてShi-マンも子供料理には目もくれず、馬刺でご飯をた〜んと食べてくださいました。宿のご主人が我輩用にもグラスワインを用意してくださっており、もちろんお酒大嫌いな我輩は丁寧にお断りし、たかやんに飲んでもらった。我輩?お子さま同様にオレンジジュースであります(笑)子供達の夕飯が終わる前にグラスワイン2杯に酔ったたかやんは「先に部屋行ってるわ」と部屋へ行った。

子供達もいい加減食べ終わったら宿に置いてあったビデオ鑑賞がスタート。いつまでたっても終わらないので、我輩も部屋に行ってるぞ〜と声をかけ部屋へ戻るとたかやんは、前日の運転疲れとワインが重なり大音響のいびきと共に夢の中におわしました(笑)途中Beたんが部屋へ戻ってきて、一人で風呂へ行って来るというので行かせ、戻って来てから我輩とShi-マンが入浴、帰ってくるとBeたんも夢の中へ行かれておりました(笑) Shi-マンにも先に寝なさいとロフトへ上げてたかやんが風呂から帰ってきてから我輩も就寝したなり。

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2006年3月18日 (土)

春スキーin菅平高原1日目

本日からから家族4人で長野県は菅平高原へSKIに行ってきたなり。この日Beたんは小学校の卒業式が午前中にあったので、Beたんを学校に送り出してからのんびりSKIの支度をして午後1時頃に出発、とりあえずお世話になる宿へのおみやげとして、千葉県と言えばピーナッツ(笑)ありきたりだが、ほんとこんなものしかないんだよな〜^^; で、ピーナツ屋でピーナツと菜の花の鉄砲漬けを購入し一路京葉道路へ行き、首都高周りで行く事にした。が、都内は土曜日の午後という事もありやっぱり混雑^^;我輩は助手席にもかかわらず、首都高途中から眠りに入ってしまったなり^^;

途中サービスエリアへ一度寄ったのだが、睡魔の軍配があがり、たかやんとBeたんがトイレ休憩をしただけで、そのまま走り続け、途中横川サービスエリアにて休憩、トイレ後に売店でジュースをと思って行ったところでソフトクリームに目が行ってしまった(笑)一人1つはちょっと多いかなと思ったので、2本購入し、半分ずつ食べるつもりでいたのだが、車に持って行くとShi-マンは一人でパクつきだすし、Beたんはトイレへ行ってしまうし、たかやんに持たせるも「持ってると食べちゃうよ〜」と言いながらどんどん無くなってしまったので(苦笑)Beたんがトイレから帰ってくるなり「パパとShi-マンが全部食べちゃったから、又買いに行くぞ〜と結局一人一つ食べる事になったなり。

そしてそのまま上信越道を走り続け上田菅平ICで高速は終了し、上田市内でBeたんのスノーブーツを購入するつもりで靴屋さんへ向かうも、シーズン終わりに近い事もあり、サイズが見当たらず「防寒長靴」というのがあったので、それを購入^^; 年々成長して嬉しい反面出費がかさむのがちと痛いっす。まあ1000円だったからいっか(苦笑) それから道路を少し走らせたところで夕飯を取り一路一般道を宿に向けて走ったなり。

宿に着いたのは午後8時30分頃。予約した宿はたかやんの学校のスキー実習で利用している宿だったのでおなじみさん状態。遅い時間だったのに、奥様が出迎えてくださいました。ベット3つとロフト付きの洋間で、子供達はスプリングのベットやロフトベットに大喜びで飛び跳ねたり普段登らないようなハシゴ階段の昇降をして楽しんでおりました。間もなくしてお風呂に入り本日は就寝したなり。

来る途中雨がかなり降っており、千葉は大雨だという事だったので、明日は大丈夫かいな〜?と思いながら第1日目は終了であります。

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2006年3月12日 (日)

かなばあちゃん1周忌

今日はMEGAKID'Sの曾ばあちゃんの1周忌であった、ほんと早いもんで、昨年の今頃に父ちゃんの入院先が決まったんだよな〜

さて、本日は、1周忌にもかかわらず、ものすごい人数が勢ぞろいした。
かなばあちゃんの子供達5人中4名が出席、それぞれの連れが3名でまず7人
プラスかなばあちゃんの兄弟が2人で9名
そんでかなばあちゃんの孫が11名中8名で17名
ぷらすそれぞれの連れが7名で24名
そんでかなばあちゃんの曾孫が14名で計38名( ̄∇ ̄;)
身内だけでものすごい人数であった。

お寺での1周忌はお経も短くあっという間に終了。それからお墓参りに皆で行ったのだが、38名(内赤ちゃんが2人)が一気にお線香をあげる事になり(苦笑)お墓の通路も狭いもんだから一方通行で順繰りにあげる事に。最初に付けたお線香も最後の人があげる頃には、半分近くまで燃えてまして、それプラス強風も重なりほんと拝んでいる暇が無い程線香を置いて去るという行程がベルトコンベアー式に行われたなり( ̄∇ ̄;)

そして、その後の宴会(苦笑)は近所の中華料理屋の2階座敷で行われたのだが、曾孫だけのテーブルが出来た程であった。ちょっとした保育園状態なり。曾孫達も滅多に逢わない面々だったので、少し緊張しながら、話声もせず、周りの大人達は「今日はおとなしくていいわね〜(笑)」と言っていた程であった。が、それもつかの間、たいして食べる事なく、遊びが始まったなり。まあ、子供の集団だから仕方ないか〜って感じでやんす。2階だった事もあり、まわりの迷惑かえりみずでも、おとがめ無しだったので、子供達ものびのびしておりました(笑)

Beたんは2人の曾ばあちゃんの葬儀(かなばあちゃんと、我輩のばあちゃん)と2人の爺ちゃんの葬儀(タクシーじじ<たかやんの父>とグレースじじ)に出席、Shi-マンもかなばあちゃんと2人のじじの葬儀に出席と、かなりの階数の葬祭に出席しているので、今日も「今日はおじぎしたり、お線香したりするの?」とあらかじめ聞いてきたり、拝む姿もさまになってきたような気がしまする。小さいうちから悲しい思いは沢山しているけど、その分人を思いやる心を育ててもらっているかな〜と思うなり。

子供達の事を良く気づかってくれたかなばあちゃん。子供達は元気でいるなりよ〜

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2006年3月 7日 (火)

結婚するの〜(*^^*)

以前Shi-マンの彼氏(笑)であるケンタ君の事は書いたが、現在もその関係は続行中なのかどうか...
今日お迎えに行った時に担任の先生に我輩から聞いてみた

「毎日挨拶のように登園するとチュッ! 帰る前にもチュッ!ってしてますよ〜」

との事( ̄∇ ̄;)

「それで当のケンタ君は嫌がってませんか?」
「いえいえ、ケンタ君もShi-マンちゃんがチューをしに来ると自らホッペを差出しますから」

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

ケンタ君が嫌がってない事が解っただけでもホッとしたっす(笑)そして、その事は園中の先生方がご存じのようで、^^;事務室にいらっしゃるバスのI先生がShi-マンにチューをお願いしていたんだけど、I先生は、Shi-マン等園児から見ればおじいちゃんのクラスになるわけで、Shi-マンは断固拒否をしておりました。そしてとどめの一撃を発した

「Shi-マンは、ケンタ君と結婚するんだから、チューはケンタ君とだけしかしないの(▼▼メ)」

と真剣に怒っておりました(笑)そして、それを見ていた園長先生も

「だったら、I先生と結婚したらいいじゃない?」と問うとここでもとどめの言葉を発したShi-マン

「園長先生がI先生と結婚すればいいでしょ〜」で、事務室にいらした先生方は爆笑の渦(笑)Shi-マンの行動、言動が全て面白いようである。

我輩も学生時代は、職員室や体育教官室が好きな奴でありました。その血を受け継いだようで(苦笑)ほうぼうで先生方に可愛がられているようである。そんなShi-マンも最近は、手話と口話を併用するようになってきたので、事務室の先生方も簡単な手話は覚えてくださっており、有り難い限りである。

我輩が最近手話サークルに通い始めてからは、間違った手話の使い方をしていた事が判明、その都度それが間違いであった事をShi-マンにも教えて少しずつきちんとした日本語対応手話になってきたように思うなり。

先生方もShi-マンとの対話は発音が微妙になってきた事もふまえて、大変かと思うがそんなShi-マンにも暖かい愛情一杯な対応をしてくださっているので、本当に有り難い限りである。4月からBeたんもクラス替え&新担任、Shi-マンも新しい学校&新担任。今まで2人とも最高の先生方に御指導頂いている運のいい子供達なので、4月も良い先生でありますように〜(祈)

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2006年3月 5日 (日)

お風呂へは誰と入る?

この前友人との会話で入浴方法の話になった。新婚当初から同居だった我輩であるが、同居の義父、母に遠慮する事なく、二人で入っていたと話すと「そんな恥ずかしい〜」と言われた^^;
そんなに風呂へ入る事が恥ずかしい事だろうか?

我輩は2歳までお風呂の無い東京のアパートで育った。その頃は家風呂がある家は、ほとんどなく皆近所の銭湯に通っていたなり。それから2歳から4歳頃までは、山口県の田舎の一軒家の借宅でトトロに出てくるような五右衛門風呂で真っ黒クロスケの変わりにネズミが頻繁に出ていたようで、我輩の婆ちゃんはネズミにお尻をかじられ、素っ裸で飛び出してきた事もあったようである(笑)
小さい頃から両親や、近所の人々、親戚等と一緒に風呂へ入った経緯もあり、就学してからの卒業旅行などでの入浴も全く人の目など考える事もなく、意識もすることなくだったので、恥じらいなんかなかったっす。

我が家の場合は、今現在親子4人で入浴している。とは言っても広〜い風呂なら問題ないが、一般家庭の風呂と同じぐらいである。大人が足を伸ばせば、ハイ!満員な風呂である。それでも狭い風呂に4人で入り、子供達はおもちゃで遊ぶ傍ら、我輩とたかやんで、いろんな話をしているなり。これってかなりいいスキンシップになると思うんだよね〜。だから、恥ずかしいとかの問題なんてさらさらなくて、「一緒に入ると楽しいから」ただそれだけなのである。

我輩も今だに、子供と同じようにお風呂で遊ぶ事があり、水鉄砲で子供達と撃ち合いをしたり、ボディーソープをお湯に溶かし大きなシャボン玉を作ったり、Shi-マンとママごと遊びをしたり、Beたんとウルトラマンごっこをしたりと。その都度たかやんには、「アホ!」と言われたりもしているが、たまにたかやんも水鉄砲で遊んでいる(笑)そんな事を毎日のようにしているから、皆でお風呂は楽しいと思うようになると思うなり〜

入浴が恥ずかしいと言った友人よ!子供が小さいうちだぞ〜家族一緒に入れるのは、そのうち子供の方から拒否されるんだからね〜(笑)我輩は今だに、実家へ泊まりに行った時には、総司令官やmi^tanとも一緒に入りいろんな話をしているなり。お風呂はある意味コミュニケーション広場となっているめが家であります。皆さんは、どうしているなりか〜?

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2006年3月 2日 (木)

ららぽーと放浪

毎週木曜手話サークルの日、今日も勉強させてもらったなり。そんでアフターのランチも2時間近く手話りっぱなしで、又ガハガハ笑かしてもらいました。ろうの方々は手話の先生である前に人生の先輩でもあるので、新婚当初から同居の話や、育児の話と色々共有する事も多い。これからMegakid'sが成長するにつれ、出てくる多感期の子供の対応など勉強させてもらいまするゆえ、今後ともよろしくなり〜m(_ _)m

さて、手話サークルが終わってから子供達を義母にお願いし、久々に船橋ららぽ〜とへ行ってきますた。今日はたかやんの誕生日であります。明日だったら、男子に似合わない桃の節句^^; 男子にというか、たかやんを一目見た人たちなら同感と返事が来るであろう(笑)て事で誕生日プレゼントを買いに行ったなり。 購入場所は既に決まっていたので、一目散に店へ向かい商品を物色して早々に決定した。それからである。放浪したのは...

昨年11月に実の母である総司令官のバースデーケーキを購入したんだけど、チョコシフォンケーキにマーブルクリームで周りを包み込んであるもので、持参した時にちょこっと味見させてもらったなり。甘み抑えめでほんと激ウマであったので、自分も食べたい一心で(笑)ケーキ屋さんを目指した。ところがである。行けども行けども目的地が見つからず、トイザラスがあるエリアまで来てしまった。自分の記憶が間違っていたのか、30歳後半になったから早々にボケたのかと不安になりながら(苦笑)又来た道を逆戻り....そして目に付いた改装中の壁そこに「フードデコは2月14日で撤収」とのポスターがあった。(T.T)せっかく食べたかったのに〜とプンプンしながら、他にケーキ屋はあったかいな〜?とあちこち探索!

突き当たりのゲーセンが見えてきて、ふと野暮用を思い出す。Shi-マンに手のひら大のわんちゃんのヌイグルミが行方不明になったから探してきてと言われていた。そんでUFOキャッチャーを物色するも目当ての犬が見当たらず「トイザラスになら」と又真反対へ移動、その前にエスカレーターで移動中に駄菓子屋へ寄り道^^; 1500円ぐらい購入して3階のトイへ到着。館内を隈無く探すも目当ての大きさのものが見当たらず「100均になら」と4階のダイソーへ到着、そろそろへべれけになってきた(苦笑)ダイソーで探すも目当ての大きさのものは、見つからず、又移動...

そんでダイソー脇のゲーセンを発見!そこで又物色...その前にミッキーの皮のサッカーボールが目に付いた。1回200円に手を伸ばすと、見事ゲット!ってそんなもんはどうでもええ!他のエリアを物色...又その前にドラクエのスライムが目に止まり1回100円で又々ゲット!って違うがな〜と又物色すると、ようやく手のひら大の101匹わんちゃんのパッチを発見!それも1匹だけ...それもかなり奥におわします。が、ここまで来て〜と思い1回100円を投入...無念....で400円で何とかゲット!
「今日の用件は何やったっけ〜?」という事で、そのままmi^tanの職場テナントの「タカラブネ」にてプーさんのチョコケーキを購入し。帰宅...

06朝Shi-マンを送り出し、サークルに行き、2時にはランチを終え向かったららぽ〜とから帰宅したのは、6時30分を回っておりました(苦笑)どうでもいい用事に無駄な時間を費やしたような、Shi-マンの喜びも今ひとつだった事からどっと疲れている現在であります。

そうそう、本日のメインイベントたかやんの37回目の誕生日。そのイベントもくすむ程Shi-マンのわんちゃんゲットに燃えてしまった本日でありました。たかやん誕生日おめでとうなり〜(笑)

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2006年1月16日 (月)

父ちゃんの子で良かった

父ちゃんの葬儀が終わった。沢山の方々から御香典、弔電、お花を頂き本当に有難うございました。家族を代表して失礼とは思いますが、まずはこの場にてお礼申し上げます。

通夜当日、棺に眠っている父ちゃんはとても安らかな顔をしていた。それなのに、我輩は涙を流す事はなかった。悲しみよりも亡くなった当日と同じく「やっと楽になれたの〜」という気持ちが強かったからである。友人知人も沢山訪れてくれ、涙を流してくれた。有り難い事である。そしてこの日は、線香番をする事になっていた。グレースババには、翌日も喪主として頑張ってもらわなくてはならないので、休んでもらい、mi-tanも限界ヨロシクになっていたので、我輩とおばさんとで寝ずの番をした。父さんの棺に寄り掛かって、いろんな話しをして夜を明かした。

そして翌日の告別式も滞りなく行われた。母ちゃんの挨拶が終わった時には、泣きながらも立派に挨拶をした事に拍手を送りそうになった自分がいたなり。危うく失態を演じるところであった。
そして棺に花を入れていく時に我輩もようやく涙が浮かんできた。父ちゃんとの別れでというよりも、子供達ともう遊べないんだと思ったからである。そして最後に父ちゃんの頭を撫でながら「父さんの子供で良かった。」と口にした途端、涙が溢れだし、止まらなくなった。Beたんも目を真っ赤にしていた。そして棺の蓋を皆でした途端Shiーマンも涙をポロポロと流し始めた。「グレースジジと遊べないから寂しいね〜」と手話ると、こくんとうなずきShiーマンを抱き締めてやった。

そして火葬場で最後のお別れをし、炉の中に棺が入り、ドアが閉まった途端に我輩も声を出して号泣してしまった。父ちゃんとの本当にお別れ。子供達との思い出をもっと沢山作ってほしかった。

父ちゃんが出て来るまでの間父ちゃんが一番輝いていた時の仕事仲間(株)東通の方と父ちゃんの事を色々と話した。専属ドライバーだった父ちゃんはマラソンなどの中継車の運転や先導車にも乗る事があり、テレビにも何度となく映った事や、2時間ドラマのエキストラで出演した事など、懐かしい思い出であったなり。

父ちゃんを思い大いに泣き大いに笑えた本当にいい葬儀だったと思う。グレースジジよ、安らかに眠ってくだされ。母さんや子供達を見守っていてね〜
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2006年1月10日 (火)

初冠雪と共に戦士の休息

今朝は早く寝たわけでもなく、目覚ましをかけたわけでもないのに、朝4時頃目が覚めた。いつもは2度寝をするのに(笑)すっかり忘れていたShiーマンの「冬休みのしおり」の作成をしていた。そんでたかやんも4時半頃起きてきた!「腹減って目が覚めた」とな(爆) でおやつを口にし、寝に戻ったなり。 そんで先日購入した「バイオ4」を1時間半ぐらいやっていたんだけど、急に室内が冷え込んできたので、外を見ると初冠雪!思わずデジカメに納めたなり。

丁度6時頃に、雪が降ってるね〜と実家の母ちゃんに電話しようかな〜と何故か思った。で、そろそろたかやんの弁当を〜と思っていた矢先に実家の母ちゃんから電話「お父さん容態が急変したから」と...車で40分くらいの病院へ向かった。

グレースジジの鼓動は途切れていた。闘病の介なく細くなった身体の父ちゃんを目の前にしても、今回も同居の義父の死と同じく涙は浮かんで来ず、父ちゃんの頭を撫でながら、涙ぐんでいる母ちゃんとmi^tanとは反対に我輩は微笑んでいた。苦境の中頑張っていた父ちゃんに、逝ってしまった悲しみよりも「お疲れ様でした」という気持ちの方が強かった。でも、我輩の本心はどうなんじゃろうの〜?自分でも良くわからないっす。(苦笑)

父ちゃんには、海、川、山など自然とのふれあい方を教わった。素潜り、釣り、植物や昆虫の事など、そのおかげで、今我輩も子供達にいろんな事を学ばせる事が出来ている。都会の子供では体験出来ないようなワイルドさを身につける事が出来た。そしてBeたんやShiーマンには本当に良き祖父であった。どんなに自分が疲れていても子供達に付添ってくれたし、自分よりも子供達の事を思って協力してくれた。難病の事やShiーマンの失聴には、「何でなんだよ!」「オレの耳をやれないのか〜」と本当に辛い思いをさせてしまったが、そんな子供達の事も愛してくれた父ちゃんに感謝で一杯である。

橋本紀昭 享年64才本当に早すぎる死であった。子供達の成長していく姿を見て欲しかった。けど、やっと肉体的にも精神的にも苦しみから解放され、休息出来たんだと思えば残された者の思いはどうでも良いのかなと思ったりしている。寂しいけどね。

という事なので、サポート関係はお休みさせて頂きます。
お通夜12日 告別式13日 場所セレモ船橋駅北口ホール

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2005年11月20日 (日)

人生いろいろ〜ありすぎ(苦笑)

19日にグレースババこと我輩の母ちゃんと、Shi-マンと3人でグレースじじこと実家の父ちゃんの転院先の病院へ見舞いに行った。

9月後半頃から癲癇のような発作が起こるようになり、入所先の方からも説明があり、車椅子でも拘束をした状態で過していた。歩行中に突然パタっと倒れてしまい、その間の記憶は一切無いという事で、ほぼ癲癇の発作に間違い無いであろうと我輩も思った。

それプラス認知症の症状もあるので、「立たないで下さいね」という注意も覚えていられず、拘束状態の車椅子から立上がろうとするから、車椅子ごと持ち上げてしまう。その状態からの転倒も危険が伴うという入所先も対応がかなり大変な状況であった。

そこで入所先から程ない所にある病院へ入院&検査、入院中も発作が起きる危険があったので、致し方なく安定剤を投与し、自分では動けない状況で1〜2週間入院した。その後やはりその1〜2週間の寝たきり状態が原因で本当に寝たきりになってしまった。寝たきりになった事から誤飲や痰の切れが悪くなり肺炎を起こし再度入院、しかし、肺炎が治っても退院場所の入所先も見てもらえる状態ではなく、先週長期療養型の病院へ入院した。

トイレ、食事、等全てにおいて現在は全介助要であり、食事は軟食の気管に入らないようなものならしっかり間食しているようである。ここの病院で診断されたのは、やはり「若年性アルツハイマー病」であった。

2004年の今頃から変な咳きの原因究明にと我輩と父ちゃんとで病院通いをしていたのに、ガン、アルツハイマーを経て寝たきりの状態になろうとは....あまりにも急激な状態の変化....

いろいろ「ありえね〜」ってぐらいありすぎだよね〜もう涙も出ないッす^^;ただ、肺癌も手術可能な状態で発見出来た事がはたして良かったのか、と今の父ちゃんを見ると思う事もあるなり。我輩のお節介で寝たきりの延命を余儀無くされた事を父ちゃんはどう思っているのだろうか?
自分のおかれている状況も理解出来ない父ちゃんの思うことはどんな事なんだろうか、今父ちゃんはどうしてほしいんだろう?

答えは出るはずもないのだが、それでも今の父ちゃんの本音が聞きたいな〜と思うなり。ガン、寝たきりの家族を持って又いろんな人の気持ちが理解出来た事が....嬉しいような悲しいような複雑な思いでいる我輩であります。

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2005年6月24日 (金)

ミイラとりがミイラ

今日の船橋は〜暑い〜( ̄。 ̄)そろそろパソコンルームの温度が凄い状態に(笑)この暑さで先日記載したヤゴ君ですが、1匹トンボになりました〜朝も早からパソコンルームを飛び回ってたなり〜それから行方不明(汗)カブトムシやらトンボやらジャングル状態なり(笑)

さて、先日夕飯の支度をしている時に我輩の妹であるmi^tanから電話がありました。

「助けてくれ〜〜〜〜〜〜(T^T)」

mi^tanは通勤に愛車のスズキちょいのり を使っているのですが、それがどうやら故障したようで、走っている途中に突然のエンスト....降りてエンジンをかけ直すも全然かからず、と急にガソリンの香りが〜。ガソリンの供給部分からドボドボと漏れている事がわかりまして、電話してきたのであります。

今日はよりによって魚料理、4匹は塩焼き用に腸を抜いただけで良かったのだが、たかやんは釣りをやるくせに骨付き魚の食い方が下手でして(笑)たかやんだけアジの刺身にしようと3枚に降ろして丁寧に骨を抜いたりしていたなり。他にも煮物とタイのお吸い物をと思っていた矢先の電話だったので、後は同居の義母に御願いしようと思っていたが、魚は切り身しか料理に使えない人なので、速攻で支度し、味付けし、後は煮るだけ・焼くだけ状態で御願いして出動した。

到着してみると、たかやんと、mi^tanの旦那も来てるではないか。いろんな人にヘルプを出したらしい。我輩は来なくても良かったのに(笑)で、たかやんがたまたまバイクで出勤していたので、バイク搭載の工具で何とか直してやれやれでありました。

現場から「では!」と解散してまもなく、たかやんから電話が入る

「オレのBMWのエンジンがかからない〜」(#/__)/ドテ

バッテリーが上がってしまったようで、仕方なく自宅から充電器を持参した。「なん往復すんねん(^_^メ)」って状態でしたが、まもなく到着というところで、電話が...

「エンジンかかったよ〜^^;」...(#/__)/ドテ

もう頼むよ〜って感じ。我輩の出動は2度とも無駄なものに終わったのであります。バッテリーが上がったのは、ここんとこ全然バイクに乗らなかったツケであります。金ばかりかかるバイクなんだから、ちゃんと定期的に乗るべし!通勤で乗るべし!雨でも気合い入れてカッパ着て乗るべし!(鬼)(笑)05

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2005年6月18日 (土)

父ちゃんその後

肺癌手術成功、その後の精神状態「せん妄」という事で、現在「千葉病院」に入院している実家のグレースジジこと父ちゃん。前にも書いたように状況は一進一退である。そんな中だが、1泊の外泊(自宅に帰宅)をする事になった。その前に母ちゃんが主治医の先生から説明をされた。

「肺癌の手術前に撮影した脳のMRI画像と、先月末に撮影した脳のCT画像を比べてみると、前頭葉の萎縮が見られます。この事からも「せん妄」ではなく、「認知症」です。年齢が64才と若いので進行も早いんだと思います」と診断を受けた。
「出来る事なら、前の父ちゃんに」と思っていたものの、正直残念であった。しかし、聞こえなくなったShi-マンと同じく受入れて行こうという気持ちになった。ただ、母ちゃんはやるせない気持ちだろうな〜と思うなり。

さて、その外泊が6月18日に行われた。午後3時から翌日の午後3時までの24時間外泊である。そこで、父ちゃんに何が食べたいか聞いたところ、「ラーメンが食いたいな〜」との事で、中華ファミレスの「バーミヤン」に行く事になった。同居のmi^tan、みーたんの旦那、MEGA KID'S、たかやんの事はちゃんと覚えていたようで、ほっとした。Beたんも「グレースジジ調子善くなってきた?」と聞いていたからである。夕飯も終え、帰り間際に「今日はありがとさん」と我輩に声をかけてくれた。

さて、この日行く前から決めていたのだが、Beたんとお店から自宅まで歩いて帰ろうという計画である^^;道のりは約3キロで、まあ食後の散歩という事で我輩と2人で食後に出発した。歩き始めて空を見上げ「月と星が追い掛けてくる〜」とはしゃぎならが楽しんでいたのだが、アスファルト上を走っていた時におもいっきし転倒、顔面から落ち、デコは打つし、鼻はずる剥け、顎は内出血、楽しさは撃沈モードである^^;「パパに迎えに来てもらおうか?」と訪ねるも「歩いて帰る」と言い張った。そこからは、我輩に手を引かれハンカチで鼻を押さえながらになってしまった。中間点近くからやっと元気が出てきて、「これは何屋さんでしょう?」と店当てクイズをやりながら、通り道の自販機でオロナミンCを買い、深夜営業のマックスバリューで亡き義父の仏花を購入し、無事帰宅する事が出来た。時間にして1時間20分であった。帰宅する頃には笑顔が戻っていた。彼も成長しているなりね05

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2005年6月15日 (水)

ボールングは何処へ

6月15日は「千葉県民の日」という事で、幼・小・中・高はたいがいのところはお休みとなる。もちろんMEGA KID'Sもお休みで、たかやんは、連土日の大会の代休が取れるという事で、この日は、「晴れたら釣り、雨ならボーリング」と決めてあった。
この日は残念ながら雨であったので、ボーリングに行く事にした。が、翌日は学校という事もあり宿題を終わらせておく事が条件であったのだが、のんびり〜なBeたんは終わっているわけがなく(笑)朝から宿題をスタート。終わったのが、なんと夕方の5時( ̄∇ ̄;) それでも、まあボーリングは行けるかと、出発した。時間が時間だったので、先に夕飯を済ませてから行く事に。

ボーリング場脇の「サイゼリア」というイタリアンファミレスで夕飯を食べたのだが、ま〜なんと遅い事。7時頃までかかってしまい、それからボーリング場へ。と又予定外の状況に...
平日だというのにやはり「千葉県民デー」が関与しているようで、待ち時間30分以上との事(@_@)ボーリングを諦めてゲームセンターで遊ぶ事にした。

一番時間つぶしが出来るのが、「メダルゲーム」である。チョイスしたのが、「エイリアン」のメダルゲーム。Shi-マンと我輩で遊んでいたのだが、ゲーム機のセンターに大人と同じぐらいの大きさのエイリアンがいて、直接戦闘モードに入るとエイリアンが目の前に向いて両手を広げ顔をどんどん近づけてくるのである。戦闘モードには入らなかったものの、ある程度楽しめ、隣のカップルが戦闘モードに突入していると、Shi-マンのリアクションは結構笑えた(笑)メダルがチェッカーに入るとスロットが回り出すのだが、その度に、隣のカップルを突いて呼び、「やった!やった!」とアピールしていた。(笑)

これで、かなりの時間が潰せたので、そろそろ帰ろうと思った矢先に「おみやげは〜」とShi-マンに言われた^^;そこで、UFOキャッチャーをする事に、Shi-マンのをゲットすると今度はBeたんは「Beたんこれ欲しいんだけどな〜」と言い出し、Beたんのもゲット。 毎回ゲームセンターに行くと我輩がUFOキャッチャーで商品をゲットし、渡しているので、ゲーセン=おみやげゲット と理解しているようである。(苦笑)で、Shi-マンには、大きなプーさんのヌイグルミ。Beたんにはラジコンをゲットして帰宅したのである。ボーリングをするつもりだったのにね〜^^;05

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2005年5月14日 (土)

いろいろあったなり

気が付けば前回から2ヶ月も経過してたなりね〜御無沙汰なり^^;

まず御報告、実家の父ちゃんの事ですが、帰宅してからも認知性に近い精神状態はかわらず、一緒にくらしているmi^tanとmi^tanの旦那や総司令官も寝不足の日々を送っていた。日中は皆仕事に出るので、日中誰もいなくなる環境下に父ちゃんをおいてはおけないので、交替で休暇を取りなんとか生活していた。が、そうそう休暇も取れなくなり迷惑だとは思いつつも父ちゃんの田舎である山口県からおじさんとおばさんに出て来てもらい日中は御願いしていた。

その間市役所に電話をかけ、どこの病院が良いか尋ねたところ、mi^tanの職場近くに専門科があるクリニックを教えてもらった。しかし、毎日通院する事を考えると自宅近くが望ましいと思い。まず近所の精神科を受診してみるも、認知性とは異なるアルコール外来が主であった病院のようであった。認知性のテスト後の医師から父ちゃんへの話し方も家族が見ると医師の対応では無いと思われるべく対応で父ちゃんに接していた。その場で医師を殴ってやりたい衝動に何度なりそうになった事か(苦笑)この病院で午前中を無駄にしてしまった。

その後、市役所で案内された病院を尋ねた。病院の担当医師は訪問医療に出ていたので、代替えの医師が担当してくれた。女性の医師で、医師や家族への接し方も「これぞ、精神科医」と思う程丁寧で、相手への思いやりを感じたなり。たまたまこの担当医が常勤している病院が入院病棟ありの所という事だったので、翌週早々に受診する事になった。

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いろいろあったなり その2

そして、入院病棟のある精神科を受診し、父ちゃんの病状の説明があった。MRIの画像も持参しての所見である。

若年性アルツハイマーでも、認知性でもなく、
           「せん妄」
の可能性が高いと言われた。MRIを見ても、脳の萎縮もなく、精神状態も急激に悪くなった事からもこれが一番濃厚だとの事。大病や大きな手術などによって、自分で受け止められる精神的ダメージが大きすぎてこのような状態になる事があるようである。今思うと咳きの原因を突き止める為に通い始めた病院めぐりと、「ガンです」と唐突に言われた頃からおかしくなってきたような気がする。

そして、やはり症状が改善するまでは、入院と投薬が必要との事で、総司令官やmi^tan達は、自分達の生活もあり、又父ちゃんが早急に改善する事を願っていたので、すぐにでも入院を御願いしたい状況であった。酷な事と思われるかもしれないが、家族の安定が父ちゃんの闘病には不可欠だと我輩も思ったからである。同居していない我輩が出来る言は限られている。パートナーである総司令官やmi-tanの事を一番に考える事が良い闘病生活にも繋がると思っている。 仕事が出来ているからこそ、病院にも行けるし、日々の生活も安定している。だから我輩も早急にと御願いした。が、現在入院病棟の空きが無いらしく、少し待って下さいと言われた。丁度この頃に山口から父ちゃんのお兄さんと妹さんが出て来てくれたのである。

その間約5日間、総司令官も、叔父さん、叔母さんも自分達の生活を後回しにして来てくれている事を考えると1日も早く入院させたい思いがあったようで、病院に電話で空室が出来たかどうか尋ねていたようである。続く...

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いろいろあったなり その3

父ちゃんの入院が出来るのを待つ間、近所に住むMEGA KID'Sの曾ばあちゃんが亡くなった。通称「かなばあちゃん」たかやんの母方の祖母で、同居の母の弟夫婦と同居していたのだが、そこに猫の「かな」がいたので、この通称となったのである。年齢もじき90才となるのだが、去年あたりに「胃癌」が発覚したが、歳も歳なので、本人には伏せていたらしい。かなばあちゃんには、MEGA KID'Sも大変御世話になり。数年前までは1人で乳母車を押して1〜2km平気で歩いていた程元気ば婆ちゃんだったが、昨年より入退院を繰返しており、父ちゃんが肺がんの手術をする頃には、入院した状態で、末期であると宣告されていたところであった。

痛みとガンの為、食べたいものも、食べられず、飲めずでだんだん足や手が浮腫みはじめていたり、我輩の同居の母も夕方頃病院へ向かい夕飯を食べさたり、好きなものを差し入れしたりと忙しい日々を送っていた。年齢も年齢だったので、延命治療はしないように、又告知はしないようにと、担当医には御願いしたようである。本人には、「胃潰瘍」と伝えていたのだが、病気の知識が無い事が幸いに悟られる事はなかったようである。末期にはモルヒネを使う事が増えたが、痛みが無くなった事が不思議にも感じていたが、笑顔の日々が続いていたようである。最後は眠るようにやすらかに旅立たれた。

その婆ちゃんの告別式の日に総司令官から「入院が決まったから」と連絡があった。おじさんや、おばさんがそろそろ帰らなくてはならない状況だった事もあり、一度にいろんな事が解決された事にほっとしたもの事実なり。続く...

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いろいろあったなり その4

父ちゃんが入院してからMEGA KID'Sの新学期の準備や、おじさんおばさんを東京駅まで送迎したりとバタバタする日々を送っていた。そして、新学期が始まり父ちゃんの肺癌手術後の抜糸や、病状経過やMEGA KID'Sの治療、千葉聾学校への見学や親の会連絡会の集まり、ボランティア活動、PTA活動、仕事など、バタバタする日々を送って現在となっている。

父ちゃんも入院当時個室で施錠され、完全隔離状態で、「このまま治らないのか」と不安は募るばかりだったが、現在は大部屋に移り部屋も自由に出入り可能となるまで回復してきた。が、まだもう少し時間はかかるようである。こればっかりは、本人の回復次第なので、家族は医師に御願いするしか無いのである。総司令官からも「今日は調子よかったよ」とか「今日はとんちんかんな事言ってた」など一進一退な症状を聞いているので、時間はかかるな〜っと思っていまする。

いろいろあったけど、それなりにクリアしているので、我輩的には元気なり〜色々と心配してくれて本当にすまんこっつm(_ _)m

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2005年3月17日 (木)

グレースじじ その後

3月2日に父ちゃんの肺がんの手術が行われた。前処置があるので、朝の9時30には病院入りし、筋肉注射やら、術前の処置が色々と行われた。

手術の数日前に国立ガンセンターの執刀医である菱田先生と永井先生から手術の説明を受けた。父ちゃんのガンは進行が早いもので、現在は喉から降りてくる気管支が2股に分かれ、分かれた右側がさらに3股に分かれてそれぞれに肺が付いているのだが、3股の一番上の気管支にガンができており、そのガンも2股を覗き込んでいる状態であるという。後は開いてみないとわからないが、取り除けない程広がっている場合、右肺全て摘出する、あるいは最悪中止して閉じると説明を受けた。そんな説明を受けていたので、午後1時30頃にオペが始まってからいつ呼ばれるか(短時間で呼ばれた場合は最悪の場合であるので)ドキドキしながら待合室で待機していた。

普通の場合は3時間程度で扁平上皮がんのオペは終わるらしい。全身麻酔になるので、術前麻酔導入の1時間と術後覚醒の1時間と計5時間が平均的であるらしい。父ちゃんの手術は4〜5時間程度かかり、術後覚醒した父ちゃんと面会出来たのは午後8時を回っていた。

面会前に執刀医の菱田先生から出血も少なく輸血する事なく手術が成功した事を聞いた。ただ、かなりの範囲にガンが広がっていたので、目で見える限りの切除可能ギリギリの所まで摘出したと説明を受けた。(目で見える限り=見えない範囲が残っている可能性があるという意味)それでもとりあえず無事手術が終わった事にほっとしたのも事実である。

術後半日程度はICUで様子を見る事になっているので、総司令官事母ちゃんと妹のmi^tanと我輩で面会に行った。父ちゃんに「無事に終わったよ〜」と声をかけると術後で、声が出せないにもかかわらず、地獄の底から絞り出すような声(もともと低音域の声である)で「おお!」と返事をしたり、首を左右に振ったりして返事をしていた。術後は血色も悪く、一昨年亡くなった義父の死に顔を思い出してしまった程である。「父ちゃんも死んだらこんな感じなのかな〜」と不謹慎にも想像してしまった自分に反省したのも事実なり(^-^;

その後もさらに追い討ちをかけるように波乱万丈な事が起ってしまったのである〜 続く

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波乱万丈その1

今年の1月に不条理にも家族の同意なく近所の総合病院で「ガン」の告知を受けたグレースじじ。その前後を境にちょいと様子がおかしくなってきた。

昨年末に「自立神経失調症」用の薬として「デパス 0.5」という安定剤を処方されたなり。その薬を毎日1回1錠を3回飲んで様子を見る事になった。
飲んで数日後が丁度大晦日だったのだが、おせち料理用の煮豆を食べようとしたら、箸で旨くつかめず、何度も何度も落としたり、食後すぐに眠いとコタツで横になって寝てしまったり、あげくには、トイレへ行くと言って庭側の窓を開けようとしたり。元々薬をほどんと飲んだ事が無い父ちゃんであった為、効き過ぎてしまったようである。あわてて、飲ませるのをやめるとしばらくして元に戻ったので、やれやれであった。

それが昨年末の出来事で、今年の1月に告知されてからは、様子の異変に拍車がかかり、「次病院へ行くの明日だっけ?」と何度も聞き返したり、夕方母ちゃんが帰宅しても電気も付けずに家のこたつでボーっとしていたり...

肺がんの手術の為、入院してからも様子は良くなる事なくさらにひどくなった。我輩と母ちゃんとで昼食を外で取る為、父ちゃん1人を病室に残して食事に出かけた。そして、戻るとベットに父ちゃんの姿が無い....慌てて入院フロアを探すも父ちゃんの姿は見当たず、母ちゃんが探しに行くも見当たらない。どうしたもんかと思った矢先に父ちゃんが登場!

父ちゃんは笑いながら「看護婦に笑われちゃったよ」と言っていた(^-^;

我輩達が出かけたその後術医が病室を訪れたので、我輩と母ちゃんを探しに行くも、自分の入院したフロアもヘや番号も覚えておらず、病院内で迷子になってしまったようである。
手術の説明を術医から受ける時も、麻酔医からの説明にも理解していないのに、あたかも知っているがごとく「経験してるからわかってるから」と答えていたし、同意書へ自分の名前を書くも苗字の途中で漢字を忘れてしまい書けなくなったりと不安は募るばかりであった。

入院してから毎日ネブライザーと、呼吸の訓練をするのだが、それらの有効な利用法を何度教えても覚えられないのも気掛かりであった。入院した時から看護士さんと術医にちょっと痴呆っぽい症状が出ている事を伝えたところ入院エリアから出るとアラームが鳴るような札を父ちゃんに付けてくれた。

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波乱万丈その2

続き...
術後のICUで面会した時には、我輩達の呼びかけにもちゃんとした対応をしていた父ちゃんであったが、術後1日以降からはさらに様子がおかしくなっていた。現在自分が何処にいるかも、何故いるかも理解していないようであった。ただ、術医や看護士が回診に来る時は笑顔で接していた。日中眠る事が多く、ネブライザーや呼吸のリハビリもそこそこであった。ただ、術後にしなくてはならない痰を出す行為だけは問題なくきちんと出来ていた。

そして術後3日目には全ての管が取り除かれ驚異的な回復力を見せていた。そしてその日の夜に事件は起った。日中眠る事が多かったせいで、夜間は全く寝なかったようで、ナースステーションに一番近い病室という事もあり、夜間は頻繁にウロウロしていたようである。ナースステーションを通過してエレベーターホールに出ると身に付けているアラームが鳴り出す。夜間は看護士さん2人で50名を見なくてはならなかったので、アラームが鳴る度に飛んで行くという事が繰り替えされ、仕事にならなかったようで、エレベーターホールの椅子に座っているという父ちゃんの言葉を聞きアラームを消しておいたようである。

そして様子を見に看護士さんが戻った時には、すでにその場に父ちゃんの姿はなく、あわてて管内を当直医を含めて皆で捜索していたようだ。が、父ちゃんの姿はなく、病院から実家に電話が入り院内にいないので、警察に捜索願をすると連絡が入った。総司令官とmi^tanが病院に到着してもまだ捜索は続いていた矢先、午前4時頃冬の寒空に寝巻きとサンダルで約1kmの所を歩いていたところを捜索中のパトカーに無事保護された。やれやれである。

それからは、夜間も付添いを行い退院も日程を早め、3月7日に退院する事となった。深夜の徘徊があったにもかかわらず、肺炎を起こさず、一安心だった。だが、付添いをした総司令官もmi^tanも安眠出来なかったようである。又日中も含め、外の窓を見ながら、「あそこから誰か覗いちょる」「ここから早く出んにゃ」とか、「もう帰るぞ」と帰ろうとしたり、壁の汚れを見て「塩素がびっしり付いちょる」など、幻覚を見る事もしばしば見受けられたのである。そんな父ちゃんが帰宅してくる。前途多難な在宅生活...不安は一層募るばかりである。

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2005年2月26日 (土)

グレースじじ

グレースじじこと我輩の実家の父ちゃんが昨日から入院した。

ことの始まりは昨年からの体調不良から始まった。10月末頃から咳がず〜っと止まらない状態が続いており、食後に上半身冷汗でシャツが湿る程大量の汗をかいたり、犬の散歩中に何度かしゃがみ込む程の立ちくらみがあったなり。

そこで、近くの総合病院を受診するも、ありがちな診断名「自立神経失調症」と言われる。歳だから仕方ないと言うのだ。それでもこの咳はなんぞや?という思いがあったので、我輩が御世話になっている近所の北条内科クリニックに連れて行き「納得いかないから徹底的に調べて欲しい」事を告げ、消去法でいろんな検査をする事になった。

そして昨年末に北条クリニックで診察が終わった後「ちょっと」と我輩だけ呼ばれレントゲン写真を見て「ここがすごく気になるもしかしたらキャンサーかもしれないよ〜」と言われ、近所の総合病院で消化器科の受診をするよう言われた。まだ確定した訳ではなかったので、年明けに消化器科を受診したら父ちゃんと母ちゃんに話しをしようと思い。とりあえず。mi^tanこと我輩の妹と互いの旦那にだけは、話しをしておいた。

今年に入りMRI、気管支鏡検査など検査三昧が続いていた。そして2月に入り検査結果が出るので、我輩と父ちゃんが診察に行くと気管支鏡で撮影した写真を見せなが