2007年4月 3日 (火)

もうじき新学期でやんす。

あっという間でやんすな〜春休み( ̄。 ̄)ボーーォ
今週の金曜日から新学期が始まるShi-マン。Beたんは翌週月曜日からと、相変わらず時間差攻撃のある小学校であります。どうせなら、千葉県内全部同じ日から始めればいいのに〜って思うなりよ。
さて、短い春休みでしたが、色々ありましたので、ちょこちょこご報告であります。

3月29日
070329 TDSの翌日は、離任式。残念なことに担任の先生が退職される事になった。小学校生活から始まったろう教育での最初の年がI先生になった事は本当にラッキーでありました。入学式の時にはどうなる事やらと不安で一杯だったけど、キュードスピーチを知らないShi-マンを相手に先生も少しずつ手話を勉強してくださったし、Shi-マンの口話もすこぶる上達した。時には教師の愛情で、時には、母のような愛情でShi-マンを育ててくださった。本当に感謝しきれない程でありました。現在の教育者は、社会全体から抑圧されすぎて、子供の機嫌ばかり取っている先生が多い中、悪い事は悪いと叱ってくださったし、良い事をした時は、本当に褒めてくださる。今の親達が一番望んでいる先生でした。又、放課後お迎えに行く事もあるから保護者とのコミュニケーションも毎日のように取れ、私たち親にもアドバイスを沢山くださった。こんなにいい先生が退職なんて本当に残念でやんす。でも非常勤講師として今後も参加してくださるという事なので、嬉しかったなり。是非後輩の先生方にも素晴らしい教諭となるよう指導して下さればな〜と思ったなり。I先生親子共々1年間お世話になりました。

3月30日
Shi-マンBeたんの検査日、聴性脳幹反応( Auditory Brain-stem Response ; 通称ABR )であります。Shi-マンの難聴が始まってからは受ける事をすっかり忘れていた状態でありましたので、ほぼ2年ぶりぐらいの検査であります。ゴーシェ病の神経症状は、このABRの検査で早期発見出来る事から、遺伝子変異も特定出来ていない事から毎年受けていたんだけど、神経症状が予想外の”難聴”から始まったので、あまり重要視していなかったなり。昨年の秋頃に予約を入れたんだけど、予定が合わなくなったので、この日に変更したなり。まさか29日にShi-マンの学校へ行くとは思っていなかったので、春休みなのに2日続けて鎌取まで行く事になったっす(苦笑)
さてABRの前に純音聴力検査(通称;聞こえの検査)をする。ヘッドフォンを付けて250、500、1000、2000、4000Hz(ヘルツ)という段階の「ピー」という音が聞こえたら手元のボタンを押して行くというものであります。Beたんは1000Hzがちょっと下がっていた程度で問題なし状態でしたが、Shi-マンは1000〜4000Hzが全く聞こえない状況になっていたっす。そして250Hzが唯一70dB(デシベル)で反応。これは、大型トラックのクラクションが耳のそばにてようやく聞こえる程度の音なり。まあ、覚悟はしていたものの、本当に補聴器が無意味な物になってしまったなりね〜^^;

それからABRの検査。最初にBeたんが行った。ABRの検査は、20〜30分は動かないで行う検査であります。今までは「トリクロリールシロップ」というオレンジ色のあま〜い匂いだが激マズ(我輩が味見して確認したなり)の眠剤シロップを飲んで眠りについてから検査に入っていたんだけど、動かないで検査ができるようになったので、検査に必要な時間も少なくなったなり。で、Beたんの検査結果は、問題なし。ヘッドフォンから聞こえた音に対して脳は即座に反応しており、音が聞こえる度に脳波がポンッポンッとなっておりました。続いてShi-マン、Shi-マンも今年からは、眠剤なしで行く事になったので、検査前に動いちゃうと何回もやり直しになるからねと伝えておいたなり。検査師の先生とも顔なじみだし、手話もキュードも使える先生なので途中動きたくなっても心配ないだろうと思ったっす。2年前に比べると全く無反応になっており脳波も波線が続いているばかりでありました。これまた想定内の事だったので、「やっぱりの〜」という感じでありました。今回の検査でとりあえずBeたんが異常なしという事だったので、ホッとした次第であります。次は4月5日のShi-マンの脳波検査なりね〜^^; その後落ちがありまして、帰宅してから(?_?)かローラースケートを始めたBeたん。転倒して右腕から落ちたようで、手首がかなり腫れ上がってしまいました(苦笑)手首は動くし、吐き気も無いので、おそらく打撲だろうという事で、この日から数日間右手が使えない日が続いたのは言うまでも無いっす。非常に痛がり屋さんですから(笑)


3月31〜4月1日
この日は、Shi-マンの友達がお泊まりに来る日。冬休みと同じメンバーでみのる君とひとみちゃんであります。31日は、午後から聴覚障害者向けの講演会があるという事で、ひとみちゃんの弟のさとし君(4歳)も預かる事になっていた。学童保育状態であります(笑)みのる家が先に到着し、みのるママと色々1時間程度話をしてからひとみ家が到着。ご夫婦は講演会へ行かれた。その後みのるママも仕事があるという事で帰宅された。そして間もなく、Shi-マンが「さとし君がお水こぼしちゃった〜」と言ってきたので、確認に行くとおもらし(苦笑)着替えも無かったので、Beたんの小さめの下着とズボンに履き替えさせたなり〜。それからひとみママにメールにてさとし君のトイレ間隔を聞いておく。そして時間的にも13時頃だったので、何か食べたい?と聞くと「ミッキーのワッフルが食べたい」とひとみちゃん。パンは?と聞くも「ミッキーがいい〜!」とのご要望、(汗)という事で、ホットケーキミックスを使ってワッフルを焼く。10枚ぐらい焼いたかな〜?でもあっという間に完食してくださいました(笑)この日は、自宅にてBeたんやShi-マンのおもちゃを存分に活用して、遊んでくださいました。それから4時頃に又さとし君がおもらし( ̄∇ ̄;) 再度Beたんのズボンとパンツに交換。その後ぐらいにひとみママから3時間おきの間隔であるとメールが来た。(笑)まあ、まだまだ年齢的にも仕方ない歳だからね〜。保育園状態になった我が家でありまする。 そして夕方にひとみファミリーが到着し、1時間ぐらい色々話しをしてさとし君と共に帰宅していったなり。夕飯は又近所のびっくりドンキーにて、そしてお風呂はBeたんの手の事もあったので、自宅にて、男チーム(Be、みのる、たかやん)と女チーム(我輩?、Shi、ひとみ)で入りました。

0704012 翌日は皆嬉しい事に早くから起きてくださいまして(苦笑)朝からテレビゲーム三昧でありました。お天気も良かったから釣り堀とか色々考えていたんだけど、なんせ痛がり屋のBe様がいたので、仕方なく自宅にて色々遊ぶ事になったっす。そして午後4時頃に皆で出動。ひとみ宅の近くのボーリング場で遊ぶ事にしたなり。Beたんですが、この日は左手を使ってボーリング^^; 右手で投げる時よりもスコアが良かったりして(笑)子供たちとたかやんで2ゲームを楽しみんだなり。それからボーリング場のフロアにある洋食屋にて夕飯。子供たちはお子様ステーキ。Beたんは手が上手く使えない事もあってから「腹減ってない」と何も頼まず、我輩とたかやんが注文したものをお裾分け状態で食しておりました。Shi-マンとみのる君は、完食が難しく途中でギブアップ。そんな中ひとみちゃんは、全部完食し、デザート付きのお子様ランチだったのだが、再度デザートを食べるとの事で、ティラミスを注文し、しっかり完食!素晴らしい〜とたかやんと感心しておりました(笑)

夕食後別れる前になってひとみちゃん対Shi-マンで喧嘩。間にいたみのる君はひとみちゃん側に着いた事が尚面白くなかったShi-マンは、終止ふてくされておりました(笑)それぞれを自宅まで送り帰宅。帰る頃にはShi-マンも機嫌が良くなり、ほんと難しい年頃でありました。我慢ばかりさせてもストレスが貯まるかもしれないけど、Shi-マンには、みんな我慢が出来ないから「仕方ないね〜」って思って怒らないようにしなくちゃ駄目だよ〜といつも言っている。どうしても自己主張の強い子供達の集まりになっているし、我慢がすごく大事である事は、社会に出る前から学んで欲しいので、その都度言い聞かせるようにしているなり。今回で2回目のお泊まりですが、子供たちの経験の為には良いかな〜と思っておりまする。今回もたかやんご苦労様でありました。


4月3日
070403 0704032 先日みのる君を送った時にみのるばあちゃんから頂いたもの。ふき、椎茸、セリであります。ふきは、同居の義母におまかせして、せりと椎茸をこの日食した。椎茸は今の時期本当に関東は高くて国産ものなら5個ぐらい入って250円ぐらい。どうしても韓国産とか安いものにしていた我が家(苦笑)それを山ほど頂いた。それもかなり大きな椎茸でバター焼きして美味しく頂きました。そしてもうひとつのセリ。我輩の幼少期に住んでいた山口で、毎年春になると、東京のばあちゃんと一緒に田んぼのあぜの小川にてセリ摘みをしていた。でも当時は子供の口には合わない代物だったので、食した事が無かった。そしてそれから30年?ぶりにおひたしにした。沢山あったセリはほんの一握りにしかならない程に(笑)丁度自宅にあったフグのぬか漬けたる物があったので、それを細かく砕いてからセリに和えて食した。たかやんは、三つ葉とか、シソとかいう物が嫌いな奴でしたが、無理矢理「たまになんだから食べなさい」と食べさせた(笑)フグのぬか漬けがかなり塩気があったので、そのままで我輩は大丈夫だったが、同居の義母はさらに醤油を付けて食べていたっす(苦笑)「それは駄目じゃん」とは言えない嫁であります(笑)旬のものをただで頂けるってのは、本当に有り難い限りであります。前のふきのとうとか、セリはスーパーではアホみたいな値段で売ってるんだもんね〜。主婦になって初めて知る値段。幼少期は本当にいい環境で生活していたな〜と思った今日でありました^^;

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2007年1月25日 (木)

手話ワールドの入り口

昨年12月も終わりに近付いた頃Shi-マンが通っていた幼稚園のお母さんからお誘いがあった。「年明けに幼稚園の子供たちに、保護者から何か出しものをやってくれる方を募集する手紙があって、是非そこで手話を使って何かやりたい」との事。昨年、Shi-マンが通園している時は幼稚園では大変お世話になったし、手伝える事があればと、承諾した。在園児のお母さんと我輩と、お友達との3名でやってきたなり。

事前打ち合わせは今年に入ってたったの2回^^; 他の方の担当箇所には、きっちり台本を作っておいたのだが、毎度の事、本番になると台本が無意味になる我輩は、こんな感じにという程度で適当にやる事にしたなり。(台本があっても覚えられないし(笑))

まず最初は、タヌキでお馴染みの「しょじょ寺」の手話ソング。タヌキの衣装は我輩が参加している手話サークルからお借りしたもの。我輩は衣装抜きでも良いのではと思う体系なのだが、一応着用したなり(笑)
「しょじょ寺」の歌が終わってから場面設定を「ポンポコ幼稚園」として、我輩はタヌキ園児として演じ(園児ではなく力士に近い状態だが)寸劇をしたなり。

お耳聞こえないお友達に「一緒に遊ぼう!」と声をかける事からスタート。どうして通じないか、一緒に遊ぶにはどうしたらいいかをタヌキ先生にアドバイスしてもらい最後にはおもちゃを貸してもらって一緒に遊べるまでを演じたっす。台本通りに行うと子供たちの反応が今一つ(苦笑)ならばと、すぐさま声をかけた我輩が無反応なお友達に対してムッとする仕草を我家のメガキッズがやるのと同じようにしてみると、園児たちも大ウケ(笑)と終始笑いを取る事を忘れずに熱演してしまったなり〜( ̄∇ ̄;)

そして、幼稚園や家庭でも使う「挨拶」の手話単語をレクチャー。おはよう、こんにちは、さようなら、ありがとう、ごめんなさいと、5つの手話を表現。「こうゆう時には、何て言うかな〜」と子供たちにも参加してもらいながらやったので、子供たちも真剣に覚えようとしてくれていました。

次に又我輩の担当「動物の手話」である。犬、いのしし、ライオン、牛、ゴリラと、5つの手話を表現。手話を教える前に、我輩の説明から連想してもらい子供たちに答えてもらってからやったなり。挨拶とは違ってこちらは、いろんな動物の名前が出てくる。1つの動物単語を教えるときちんと並んでいた子供たちは横や後ろを向いたりして互いに動物手話をやりあっていた。

070125そして最後のゴリラ。これ実は当日になって後一つ何をやるんだっけ?とすっかり忘れていた単語でありました。お母さん方に教えてもらい本番に挑んだんだけど、ゴリラを連想させるのに何と言えば良いか考えていた時両サイドのお母さん方から小声で  「ゴリラ」「ゴリラ」 と声が聞こえてきた。我輩が又ど忘れしたのかと思われたようである。(笑)余計な心配をさせてしまって申し訳なかったなり〜そして子供たちに「動物園にいて〜大きくて〜」と説明すると「ぞう〜! キリン! カバ〜!」など的外れな回答が・・・「ちょっと違うんだな〜じゃあおばさんが真似をするからね〜」と即興でゴリラの仕草をするとすぐさま
ゴリラ〜!と大きな声が返ってきた。自分の事を言われてるようで、又苦笑してしまったなり。で、先に覚えた挨拶と動物を混ぜて我輩が言った言葉を手話表現するミニゲームをしたなり。動物の手話をしている途中で挨拶の手話を入れると子供たちもドギマギ(笑)、だんだん真剣になる子供たちを見て本当に微笑ましい状況でありました。

そして今回の出し物のラストは「小さな世界」の手話ソング。これは、園児にゆっくり手話指導をし、最後に先生のピアノに合わせてみんなでやったなり。そしてめでたく終了!園長先生からもお褒めの言葉を頂きました。そして担任の先生からも楽しかった。真剣な子供たちを見る事が出来てとても有意義であったと有り難いコメントも頂きました。

Shi-マンの難聴がわかる前に入園通知を頂き、入園までの半年の間に難聴がわかり、補聴器も意味の無いほとんど聞こえない状況で過ごした幼稚園生活。Shi-マンがきっかけとなり、今年も手話ソングをしているクラスもあると聞き、嬉しい気持ちになったなり。幼稚園など、集団生活の導入期に聞こえない人がいるという事、手話があるという事を知ってもらえるというのは、本当に素晴らしい事だと我輩は思うなり。ろうの世界は、広いようでまだまだ狭い。興味がある人はほんの一握りである。手話ワールドの入り口だけに限らず、興味を持ってもらおうと思ったら、まず楽しい事からが良いのではと思って正しい手話を交えながら笑みがこぼれるような内容である事を心掛けた。楽しい事であれば、その場で終わる事もなく、友達同士や、家族の間でも手話が話題になるだろうし、手話を学ぼうという気持ちを持ってくれる人も増えると思うし、学びたくなれば、手話講座やサークルへ足を運ぶようになるだろうしね。

最初から専門的な方々に指導を受ける事も大事かもしれない。それには、時間も、準備も、お金も必要となってくる。金銭的な負担をさせてまでの体験となると受ける側の同意があっての事だと思うし、押し付けがましいものになってしまうと我輩は思うなり。今回の事を相談させてもらった方々の中には「ちゃんとろう協会などを通してちゃんとした人を派遣してもらわないと」と言われていた。でも手話の導入というのは、こちら側の「知って欲しい」という思いを受けてもらうんだからボランティアで当然だと我輩は思うなり。健聴者だから言えるのかもしれない。でも聞こえない子を持つ親としてみたら子供達の事を知って欲しいという思いがあるんだよね。ろう者の方々はどう思っているのかな〜?
ちょっと偉そうな事書いてしまったなりかね〜^^;

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2006年9月17日 (日)

口話・日本語対応手話・キュード法

2学期がスタートした。夏休みの間のShi-マンとのコミュニケーションは我輩が日本語対応手話をし、Shi-マンは口話、家族とは、読唇&口話で生活してきた。
そして新学期学校では、先生、クラスメートとはキュード法でのコミュニケーションなのだが、夏休みにほとんど使っていなかった我が家では、キューサインのスピードがかなり低下していたようである^^;

もともとキューの必要性に難色を示していた我輩ではあるが、クラスメートは幼稚部から在籍し、コミュニケーションもキューサインで取っていた事もあり、かなり前にも記載したが、学校でのコミュニケーション手段としてキューサインを使わなくてはならない情況から我輩もShi-マンも覚えたなり。
5歳の時から指文字を使っていた我輩とShi-マンなので、キューサインは比較的容易に覚える事が出来たし、Shi-マンは本当に流暢にキューサインを使う。子供の頭は本当に柔らかい。それに比べて我輩は、一文字一文字頭で考えながらでないと、キューサインが出てこない
( ̄∇ ̄;) 我輩がキューサインをしている途中から、話の内容を汲み取った子供達は、我輩にキューサイを教えてくれるのである。37歳とはいえ、脳年齢は50歳ぐらいではと不安がよぎる程である(苦笑)

新学期に入ってから担任の先生より「簡単な手話単語を今学期から少しずつ取り入れて行こうかと思います。日常会話でキューサインよりは、手話を取り入れた方が会話も早くなりますからね。」と説明があった。1学期の時からすでに「トイレ」「早く」「帰る」「遊ぶ」「勉強」など学校で頻繁に使う単語に関しては手話を使ってくれていたので、我輩的には、嬉しい限りである。ただ、現段階でも手話には、方言などもあり、地方特有の使い方があるので、全国で統一されている手話を使ってくれたらな〜と思っておりまする。書店でもかなり多くの手話の本が販売されているが、手話表現が異なっている事も少なくないので、全日本聾唖連盟日本手話研究所から出版されている日本語-手話辞典を使ってくれたらな〜と思っているなり

それにしても、Shi-マンには、脱帽であります。人によってコミュニケーション手段をコロコロ変える事が出来るってのは、基本に日本語があるにしても凄いよな〜同じような柔らか頭が欲しいなり(笑)

それと、日本語対応手話を使っていて思うのは、「て、に、と、は、が、」など助詞の使い分けがまだ十分ではないなり。日本語対応手話とは言っても、書記日本語と同じ順序で手話単語を並べている事が多く、早く伝えたい時や叱る時(笑)などは、単語の羅列だけになる。書記日本語を獲得するには、助詞は絶対必要であり、助詞の使い方次第では、ほんと変な日本語になっちゃうんだよね。
我輩達健聴者は生まれながらに耳から大人達やテレビからの日本語を意識する事なく聞いていたからそんなに変な使い方はしていない(と思っているのは自分だけだったりして)と思うんだけど、耳からの情報が無い難聴・ろう児にとっては、助詞の使い方はなるべく早いうちに覚えた方が良いんだろうな〜。学校での板章をそのままノートに写すだけだと身に付くのに時間がかかるだろうし、ある程度の年齢になって文章は凄い物を書いていても話すとあれ〜って事にもなりそうな気がするなり。

まだ、ろう児の母(父かも^^;)になって2年程度だからどれが良い、悪いってのは、何とも言えないけど、5歳まで獲得出来ていた口話を彼女がチョイス出来る年齢までは衰えさせる事が無いようにしないとな〜と思っているまする。
そうそう、ちょっと前に千葉県こども病院でBARの検査を受けて耳鼻科の医師との会話になった時に
「こんなに聞こえない情況なのに、会話のボリュームを調整出来る事は凄い事ですよ〜」と言われた。ほんと我輩達は、自分の声が聞こえるから声のボリューム調整を普通出来ているわけだが、聞こえないShi-マンはどうやって調整しているんだろうかの〜と思うっす。そのうち彼女から説明してもらいたいなり。
彼女の口から色々と聞こえなくなった時の事とか、今の現状とか、そのうち色々聞いて理解してかなくちゃって思ってます。さて、その時には、どんな言葉が出て来るやら、(^_^;アハハ…

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2006年9月 7日 (木)

早瀬憲太郎さん講演会

開催されますた早瀬憲太郎さん講演会
当日は、ろう学校のShi-マンの同級生の親御さん3名もご一緒に参加
朝Shi-マンを学校に送ったその足で地元船橋へUターン
午前9時45分に会場へ到着。そして講演会担当のKさんと一緒に早瀬さん登場。
昨年9月代々木で開催された「全国ろう児の集い」の時にお目にかかって以来である。少しスリムになられたようで、我輩は羨ましい気持ちになりました(笑)
昨年のこの集いでお目にかかった事を手話で少しさせてもらい、テレビでも拝見しましたよ〜とお伝えしたなり。

そして一応司会は承諾したものの、当日手話通訳もしてくれるようだったので、安心してたんだけど、Kさん曰く「通訳はいらないでしょ〜大丈夫!」と何の根拠も無く手話通訳却下( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
という事で、早瀬さんの紹介は色々文章では考えていたんだけど、ヘタ糞な手話で超簡単に紹介させてもらったなりY(>_<、)Y ヒェェ!

講演会では、早瀬さんの育ってきた環境や、ろうの歴史、健聴者とのギャップなど色々な事を教えてもらったなり。幼少期から普通に使ってきた日常手話。そして健聴者の世界での意思疎通のギャップ。ろう児を支えている学校の教員の事。時には、面白可笑しく、時には、真剣に。手話表現もズブの素人の我輩が見てもわかるような素晴らしいメリハリのあるもので、我輩も将来的には、早瀬さんのような手話が出来るようになりたいの〜と思った次第であります。

■ろうの歴史■
ろうの歴史を聞いた時、頭をよぎったのが、「治療薬が無い時代を知らない患者と家族達」とか「戦争を知らない子供達」であった。
・ろうの方々のご苦労があり、今のような環境がある。
・治療薬の無い時代のご苦労があり、今のような環境がある。
・戦争でのご苦労があり、今のような環境がある。

我輩は上記の全てにおいて「知らない人」である。かと言ってそのご苦労をないがしろにしている訳ではないが、現在においてないがしろにされがちな風潮にあると思うなり。「そんな苦労があったんだ〜だから何?」って感じでね。確かに過去の苦労を称えよとか、同じ苦労をしろとか、強制するような事では無いかもしれないが、苦労されてきた方々がいたからこそ今自分達はいい環境で生活出来ているわけである。(まだまだ改善しなくてはならない事も多々あるけどね)
その恩返しではないが、少しは自分達も何かに協力しようとは考え無いのかな〜って思うなり。過去の事は関係ないし、「今は問題無いでしょ」って思いで生きている人が大半を占めてるよな〜って。ろうの事やゴーシェの事はまだまだ身近な問題だから我輩も協力せねばって気持ちになるけど、戦争となると、「今は問題無いでしょ」の部類に入ってしまうかもしれないっす。これは反省しなくちゃならないけど、何かに協力とは言っても何をすればって状態になるのかな〜?
ゴーシェも、ろうも、何をすればになるんだろうな〜。
我輩が難病の世界に入って早いもんで7年、難聴・ろうの世界に入って2年になりまする。Beたんが生まれた時には、ゴーシェも国内での治療薬が承認されていたし、Shi-マンが難聴になった時には、指文字も手話もあったしね。戦争ははるか彼方の事、総司令官が生まれる前の出来事であります。だんだんと年を重ねるごとに昔の苦労は考える人が少なくなってくるんだろうな〜って感じておりまする。

昔の事だからではなく、昔の事だからしっかりと背景を学び、今の自分達がどれだけ幸せかと実感する事で、優しい気持ちを持ち続けてくれたらな〜って思いまする。だから今を生きている我輩達は、過去の事を恩着せがましくではなく、次の世代へ語り続けなくてはならないな〜って思いまする。

(! ̄  ̄)ちょっとエラそうな事を書いてしまったなりね〜(苦笑)みなさんは、このような過去の事をどのように受け止められているなりか〜?

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2006年9月 6日 (水)

新学期スタート他

新学期スタート!
夏休みボケがたたって、先週の金曜日からスタートした新学期はとても変な感じ...
時計を見て「今この時間には、いつも何やってたっけ?」って状態でありまして、いつもなら、この時間には、これをやっておかなくてはならないから〜と計画的に動いていたんだけど、ボケボケしておりました(苦笑)
そして土日を挟んで今週から通常日課がスタート。又、今月から我輩が通っているNASスイミングスクール(ジムもある)のマスター会員になり、日本全国何処のNASでも通えるようになった。丁度Shi-マンが通っている千葉ろう学校から車で5分ぐらいの所にNASがある事がわかったので、これからは、Shi-マンを送ってその足で行けば毎日2往復する必要も無くなるだろう!と思ったのである。が、一応主婦である我輩は、出っぱなしという訳にも行かず、一度帰宅して洗濯したり、用事を済ませてからになってしまうなり。でも、学校の近くのNASに行けるようになったので、駐車場代はかからないし、お迎えの時間に間に合わない!なんて事もなくなる訳であります。

後問題となってくるのが、モバイル環境!前にも書いたけど、ほんとこれが一番重要なんだよね。仕事をするなら、今は家だけが頼り状態だし、外でも出来ない事は無いけど、あれも持ってこれも持ってじゃかなり面倒だし、あっちで作成したものを又こっちに移してじゃあ能率が悪いし、色々考えてはいるんだけど、どうしたらと思っております。いっそのこと、持ち運び可能なノートパソコンを仕事用に変更しようかとも思案中であります。あっちこっち移し変えるのも面倒になってきたしの〜色々と自分の環境をShi-マン送迎モードに移行しなくては^^;

話は変わるが、明日は我輩が通っている手話サークル「さざんか」の講演会「早瀬憲太郎in船橋」が開催されまする。先日NHKの「ろうを生きる・難聴を生きる」にてデフムービー「迂路」製作をされた監督さんと一緒に出演されていたし、又奇跡体験アンビリーバボーにて放映された日本初の難聴者の薬剤師となられた早瀬久美さんのご主人でありまする。その早瀬憲太郎さんの講演会のチラシ作成を依頼され、白黒限定という事で、簡単なものを作成させてもらった。それプラス当日の司会も頼まれてしまいまして、いやはや、手話もまだまだなのに〜って感じですが、出来る限り頑張ってやろうかと思っておりまする。まあ、いつも通りにとはいかないのですが、当たって碎ける奴ですから(笑)何とかなるでしょう。詳細は後ほどご報告しまする。
ではでは〜(^^)/ジャネ

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2006年4月 6日 (木)

イチゴのマッドパイが〜〜

昨夜は子供達を寝かせた後2〜3時間もいろんな話をした。前から寛大なたかやんのおかげで夫婦喧嘩にはならず(笑)ディベートを良くしておりまする。夫婦だから解り合えるではなく、やっぱり男と一応女な我輩は話さなければわからない事も沢山あるわけで、子供達の事からジャンルは毎日色々変わりますし、きっかけも背を向けてパソコンをしている夫婦なので、顔を合わせている状態でも無いのだが、片方から今日の出来事を話すとそれからいろんな話に発展していく。変な夫婦であります(笑)

そんな話も踏まえて明日から始まる新学期に向けて今日から日常時間に戻す事にしたっす。が、昨夜は子供達を早く布団へ入れたはいいが、そんな時間に寝付けない子供達は数分おきにトイレに行ったり来たり^^;で、しまにには夜中2時頃Beたんが我輩達が寝ていると思って足側から足をそろそろと突っ込んできまして、一緒に寝ようとしてきたっす(笑)仕方なくまだ春休み中という事もありBeたんと寝床を交代。寝付けない我輩もBeたんのベットでゴロゴロしながなんとか就寝!そんで今日は目覚ましも無く起きれるかな〜っと心配していたのですが、運良く6時30分に起床!緊張してると起きられるなんて、遠足前の子供状態(笑)今後もちゃんと起きられればな〜っと(^-^;

それから子供達も早めに起こし3週間ぶりに手話サークルへ行って来たなり。このサークルにはBeたんの同級生のお母さんも入会されておりまして、昨日電話で色々話した時に今日のサークルも子供達を連れてと打ち合わせをしていたなり。

今日から手話サークル「さざんか」も新年度となる。入会をしてから会員さんへ「この会は皆で作って行くサークルですから、一人一つ何か担当をしてもらいます」との事。これからどんな通学生活が始まるかわからない状態で安易に担当も出来ないよな〜っと思っていた。悩んでいた時にろう者のKさんから手招きをされた「高城さんパソコンで案内とか作れる〜?」と聞かれ「はい、一応」と答えたところ、講演会の担当に入る事になってしまいました(苦笑)でも、毎月ではなく、ひと月だけのようなので、お役を引き受けますた。患者会の会報のようにゼロから作る作業ではないようなので出来るかなと思ったっす。

サークル中子供達は同級生の兄妹と室内を走り回って遊んでおり、年配の男性がお世話をしていてくださいました。サークルで覚えた手話と、サークルのアフターランチで覚えた手話で自己紹介も何とか出来たっす。サークル後にろう者のYさんからランチに誘われたが今日は子供達もいるし、来週から通常通学になるので、来週又一緒にランチしましょうと約束をした。誘ってくれて有難いなり〜

060406サークル後は子供達と同級生のご家族とでCOCO'Sへ昼飯に行ったなり。Shi-マンに何食べると聞くと「これ〜」とイチゴのマッドパイを指差した^^; ご飯はと聞くとお腹一杯だからこれでいい〜という事で注文!デザートだから一番に来たんだけどそれをちょっと食べるなり「これじゃなくて〜ご飯食べる〜」と言い出してくださり、「これはいらない!」と...それをそのまま放置すればアイスクリームの湖と化してしまうので、仕方なく〜食べましたよ〜その後自分が頼んだハンバーグプレートも食べましたよ。さすがにご飯は残したけど(苦笑)胃の中はアイスと生クリームとハンバーグソースで何とも言えない状態になり、夕方近くまでもたれ続けて下さいました。Shi-マンよ〜適当な注文や止めておくれ〜(! ̄  ̄)

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2006年4月 5日 (水)

無理ですから^^;

本日は2週間に一度の点滴デーでありました。ほんと2週間はあっという間であります。到着早々に言語の先生にばったりお逢いし、補聴器の事、学校への通学の事、キュード法・手話・指文字などの事、発音の事などかなり長い時間いろんな相談にのってもらった。本来ならば外来予約が必要であろうに^^; 有り難い事である。そんなこんなで、今日も病院での取り組みはお休みしました。次回は頑張ろうっかな〜(笑)

その後会計窓口にファイルを出す時に「小慢の受給券が5月上旬に発行されまして、それまでは保留にして頂く事を主治医の先生にはお話してあるのですが」と伝えたところ、まだ若々しい事務員さんは「少々お待ち下さい」と先輩事務員さんに聞いていた。今日の会計を計算してみたところ、その金額に驚かれているようでボソボソと「この金額は保留じゃないと」と話をしていたので、「そんな金額支払う事は無理ですし、そんなお金持ってません」と苦笑して言ったところ先輩事務員さんも「私も無理ですよ〜(笑)では受給券をお持ちになるまで保留にしておきますし、次回来られた時も対応出来るようにしておきます」とさっすが〜ベテランさんだと思ったっす。

今日の子供達の投与で支払う事になりそうだった金額は...

81万6000円( ̄∇ ̄;)

千葉県こども病院の方々親切な対応に感謝致しまする。心から「有難う〜!」と言いたいです(笑)これで車を売らずに済みました(苦笑)来年からは受給券の更新も審査に間に合うような期間にしてほしいっすな〜。

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2006年3月17日 (金)

卒園式

本日暴風のおかげで快晴なり(笑)一時暴風雨予報が出ていただけにホッとしたっす。
そして快晴の中Shi-マンの卒園式が執り行われました。
前日というか、今日でやんすな^^;まで作業して作成した手話ソングのDVDを持参して、
幼稚園へ向かった。到着して式まで30分の時間があったので、早々と来ていた撮影班に勝手にされているmi^tanとたかやんは時間まで車内で待機してもらった。

我輩は作成したDVDを子供達への記念品袋へ入れ、朝一で届いていた花束を確認し、準備が整っている事を確認しホールへ向かった。

前回の予行練習でも記載したが、我輩と大島さんは役員長、副という事で壇上へ座らなくてはならず、いつもはしない冠婚葬祭のみの化粧をしまして(笑)参加したなり。

卒園証書授与の時には、立派に大きな声でお返事をし、きちんと証書を受け取る姿を見た保護者の方々が涙されていた。我輩は傍から見れば一番の特等席で見れると思われていただろうが、丁度目の前に大きな生け花が飾られており、子供達の姿は全く見えない状態でありました。後で聞いたんだけど、授与の様子が見れるようにステージの右側にスクリーンを設置しプロジェクターで授与の様子を映していたようで、それも見れず、損した気分でありました(笑)そんなこんなで感激も半減状態であったなり〜

Shi-マンの番になり、名前を呼ばれると後ろで待機していたお子さんに肩をポンッと叩かれたShi-マンは大きな声で「はぁい!」と返事をし、受け取りもきちんと出来ていたようである。そして受け取ってからステージを降りて、証書をテーブルに置く事になっていたのだが、数人前から置いたお子さんが斜めに置いてしまったので、後の子供達もズレた状態の上にきちんと積み重ねていたのだが、Shi-マンが置く時には、ズレた事に気が付いたようで、きちんと整頓してから自分の席に付いていた。それを見て思わずニヤけてしまったなり(笑)緊張しているであろう子供達の中、そんな所に気が付く程心臓に剛毛が生えているようなShi-マンの対応に同じ血が流れているような気がしたっす(苦笑)

数日前に園長先生からShi-マンの耳の事を今まではしませんでしたが、卒園式ではさせて頂きたいので宜しいでしょうか?と提案があった。ご迷惑でなければ、宜しくお願い致しますと承知して本日園長先生のお話となった。「Shi-マンちゃんは耳が聞こえません。皆さんは、耳が聞こえないという事はどうゆう事かわかりますか?お歌も、テレビの音も、お友達の声も、先生のお話も聞こえない、それでもShi-マンちゃんは運動会のお遊戯や、発表会では一生懸命頑張っていました。そしてお友達もShi-マンちゃんへ指文字、手話、ゆっくりと大きな口でお話をしてくれました。Shi-マンちゃんの為に頑張ってくれたみんなに園長先生からお礼を言います。本当に有難う」とお話くだされた。それまで涙腺なんてあるのかな〜?と思っていたのだが、頑張っていたShi-マンの事、又Shi-マンの面倒を良くみてくれた子供達へ感謝の気持ちが沸き起こり涙が浮かんできたなり^^;

それから卒園の言葉を各クラス単位で保護者へ向かい準に話していき、歌になった。担任の先生の手話を見ながらShi-マンも一生懸命手話と覚えている箇所の歌を一緒に歌っていた。(ビデオで確認)これもまた自分が座っている所からはShi-マンの後ろ姿しか見えない事が残念であったなり(苦笑)

卒園式も無事に終わり保護者だけが残ったホールにて先生方に保護者からの卒園記念品の贈呈を行った。役員長の我輩の司会で進行したのだが、いつも通り台本なんか無いわけで^^;何を話すかも考えておらず、行き当たりばったりの話をさせてもらいました。ちゃんと考えた方が良かったなりかね〜(苦笑)
先生方には、カタログギフトと保育で使われるであろうTシャツをプレゼントした。購入担当は我輩と大島さんだったんだけど、事前に先生方からサイズをお聞きし、購入したっす。が、園長先生と園長補佐の先生が一言にてお渡ししたTシャツがちょっと小さかったようで、「Tシャツが着れるように頑張ります〜」とお茶目なコメントをくださった。

06その後クラスへ戻り担任の先生からのお話をShi-マンに手話通訳しながら聞いていた。先生も感無量状態で涙ぐみ詰まってしまう事もあったが、頑張っておられた。こうゆう時思ったんだけど、手話通訳をしながら聞いていたので、頭でShi-マンがわかるような手話を考えながらだったので、号泣するであろう所で感情が半減してしまったので、Beたんの時とは違って冷静な我輩でありました(笑)

本当に素晴らしい卒園式となったなり。幼稚園の先生方、白4組のお友達、保護者の方々有難うございました。
そしてShi-マン!良く頑張ったね。聞こえなくなってもその時以上にどんどんパワフルになったあなたをママは誇りに思います。幼稚園で体験した沢山の事や、人を思いやる気持ちを持てるようになったのも、聞こえなくなった事をものともせず頑張ったからだよね。きっとママが思っている以上に大変だったと思います。そんなあなたがいたから、ママも一緒に頑張って来れました。本当に有難う。4月からは新しい学校へママと通う事になり、場所も遠いけど、一緒に頑張って行こうね。Shi-マンおめでとう!最後の文を打ちながらようやく感慨深くなって涙している我輩であります(笑)

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2006年3月13日 (月)

卒園式予行練習

卒園式を金曜日に控えた本日、予行練習が行われたなり。我輩と大島さんは役員、長・副である。式当日もお役を果たさねばならないので、参加してきたっす。^^;

式の最初から最後までホールの壇上脇の椅子に座っていなければならず、終始リラックス出来ない状態なので、場慣れしている分緊張はしないものの、つねに姿勢を正しておかなくてはならないので、そうゆう意味では緊張していなくてはならないであろうの〜(苦笑)普段のめがではいられないっす。

予行練習も本日が最後という事もあり、式と同等に進行していった。入退場はもちろんの事、園児一人一人の卒園証書授与、歌、記念品贈呈、目録受給etc... 園長先生、理事長先生、来賓祝辞等はほとんど礼の練習だけだったので、本番どの程度の長さの祝辞があるかにより、式の長さが決まるので、我輩も含めて園児の緊張感も維持出来るか決まるなり。本番当日は短い祝辞である事を祈るなり〜(笑)

式の最中にある幼稚園の歌が始まると、担任の先生が手話を行っていたかは壇上からは見えなかったんだけど、入園前からBeたんに覚えさせようと入浴中に歌っていた事や、年中の1学期は補聴器にて聞こえていたので、Shi-マンは他の園児と一緒に歌っていた。子供の記憶力は凄いっすね〜^^;大きく口を開けて一生懸命歌っていたなり。

今回我輩が翻訳させてもらった歌は白4組さんが手話ソングをやるのではなく、Shi-マンと担任の先生だけが行うなり。本来同じクラスの子供達にも教えたかったようなのだが、卒園式に白4組だけ手話を行うとなると、傍から見れば「4組さんだけ手話を教えてる」と依怙贔屓(えこひいき)していると思われる可能性も十分あったので、それは取り止めとなった。ちょっと残念なりね〜^^; でもShi-マン一人の為に共有したいという思いから手話ソングを覚えたいと言ってくださった担任の先生には本当に有り難い思いで一杯である。

残すところ後4日となった。今日の練習では子供達も「良くこんなに覚えたな〜」という程沢山の事をきちんとこなしていたので、本番当日は、立派な卒園式になる事であろう。後は、お天気に恵まれさえすればの〜予報では金曜日だけ千葉は雨なんでやんす(T.T) 
てるてるぼ〜ず20個ぐらい作るかな( ̄∇ ̄;)

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2006年3月10日 (金)

やっと繋がったなり

ここ数日@niftyのココログへの接続が出来ず何でじゃ〜とイライラしていたっす。
メンテナンス期間は、一応9日中だけだったのだが、10日の深夜に入ってもメンテナンスが続いていたなり。9日はメンテナンスの「メ」の字も表示されない状態であった。一応大手プロバイダーなんだからそこら辺はきちっとしろよな〜って思ったなり。(切気味)

今週もほんと毎日のように出ずっぱりであった。そんで9日の午前中におたのしみ会の時にやった手話ソング
・世界がひとつになるまで
・あしたは はれる
の2曲を特別に撮影させてもらう事になった。

おたのしみ会当日は、我輩もビデオカメラではなく、デジカメだけ持参して行ったので、デジカメで動画を撮影するつもりでいた。が、子供達が短期間で一生懸命覚えた手話ソングを見たかったので、適当に撮影していたもんだから、きちんと取れてなかった^^;そんな事もあり、ビデオ撮影の許可を園長先生に頂き本番と同じようにホールの壇上に整列し、担任の先生の生ピアノ演奏での撮影となった。

園児全員が映るようにした状態での撮影なので、一人一人はちょっと小さくなってしまった感じもするが、撮影したものをDVDに落として来週の金曜日の卒園式の時に配布しようかと思っている。幼稚園にも贈呈する事をお伝えした。

撮影中、我輩も一緒に手話ソングをやって同じ時間を共有出来た。そして2曲が終了すると、担任の先生も園長先生も感動されて、涙されていた。担任の先生は、子供達に「また先生泣いてる〜」と言われてました(笑)

帰り間際に「今日はお母さんが作ったお弁当なんだから、全部食べないとお母さん泣いちゃうからね〜」と話かけると一斉に「全部食べられるよ〜」と返事が来たので、「全部食べられる人〜?」と聞くと全員が「は〜い!」と手を挙げていたなり。「今日おばさんは、Shi-マンをお迎えに来るから、その時先生に聞くからね〜」と告げて子供達と別れた(笑)

そして、お迎えの時間に「お母さんのおかげで、いつもより多くの子供達がお弁当を全部食べましたよ」と教えてもらった。子供の好きなものをお弁当に入れているであろうお母さん方は残してこられるとちょっぴり悲しい気持ちになってしまうなり(笑)残り幼稚園でのお弁当作りも1回だけとなった。最後のお弁当はちょっと楽しいお弁当を作ろうかなと思う今日この頃であります。

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2006年3月 7日 (火)

結婚するの〜(*^^*)

以前Shi-マンの彼氏(笑)であるケンタ君の事は書いたが、現在もその関係は続行中なのかどうか...
今日お迎えに行った時に担任の先生に我輩から聞いてみた

「毎日挨拶のように登園するとチュッ! 帰る前にもチュッ!ってしてますよ〜」

との事( ̄∇ ̄;)

「それで当のケンタ君は嫌がってませんか?」
「いえいえ、ケンタ君もShi-マンちゃんがチューをしに来ると自らホッペを差出しますから」

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

ケンタ君が嫌がってない事が解っただけでもホッとしたっす(笑)そして、その事は園中の先生方がご存じのようで、^^;事務室にいらっしゃるバスのI先生がShi-マンにチューをお願いしていたんだけど、I先生は、Shi-マン等園児から見ればおじいちゃんのクラスになるわけで、Shi-マンは断固拒否をしておりました。そしてとどめの一撃を発した

「Shi-マンは、ケンタ君と結婚するんだから、チューはケンタ君とだけしかしないの(▼▼メ)」

と真剣に怒っておりました(笑)そして、それを見ていた園長先生も

「だったら、I先生と結婚したらいいじゃない?」と問うとここでもとどめの言葉を発したShi-マン

「園長先生がI先生と結婚すればいいでしょ〜」で、事務室にいらした先生方は爆笑の渦(笑)Shi-マンの行動、言動が全て面白いようである。

我輩も学生時代は、職員室や体育教官室が好きな奴でありました。その血を受け継いだようで(苦笑)ほうぼうで先生方に可愛がられているようである。そんなShi-マンも最近は、手話と口話を併用するようになってきたので、事務室の先生方も簡単な手話は覚えてくださっており、有り難い限りである。

我輩が最近手話サークルに通い始めてからは、間違った手話の使い方をしていた事が判明、その都度それが間違いであった事をShi-マンにも教えて少しずつきちんとした日本語対応手話になってきたように思うなり。

先生方もShi-マンとの対話は発音が微妙になってきた事もふまえて、大変かと思うがそんなShi-マンにも暖かい愛情一杯な対応をしてくださっているので、本当に有り難い限りである。4月からBeたんもクラス替え&新担任、Shi-マンも新しい学校&新担任。今まで2人とも最高の先生方に御指導頂いている運のいい子供達なので、4月も良い先生でありますように〜(祈)

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2006年3月 6日 (月)

必要性

今日は2週間に一度の点滴デーであります。子供達を幼稚園と小学校へ迎えに行きそのままセブンイレブンにて昼食購入、千葉子供までの40分間車内にて昼食タイムとなる。我輩は運転しながらパクつく傍ら、「ジュースが開かない」とか、「Shi-マンが言う事聞かないから●●と言って」など、運転手なんて事は忘れられている状態で要望が出っぱなしになるなり^^;

今日の病院での取り組みもほぼ失敗に終わった(T.T) 現実は、厳しい又Beたんの投与暦が丸6年経過した事も絡んでくるなり。今日は男泣きしていたな〜。

投与がセット完了となり、子供達がビデオを見ている時に、ちょいとタバコを吸いに車へ移動。千葉こどもも、病院という事で、喫煙エリアが面倒は場所に移動した事もあり、車で吸わなくてはならなくなった。喫煙家は何処でも片身が狭いっす^^;

その後点滴部屋へ移動中に補聴器屋さんに出くわした。Shi-マンが補聴器とおさらばして早いもので、半年以上になる。その補聴器屋さんは千葉ろう学校にも来られているので、現在装着しておらず、期間も半年以上経過した事を伝えた。「聞こえる音もあるでしょうに」と言われた。が、Shi-マンは聞こえないから装着を拒否したわけなんだけど、我輩が実際体験出来る訳では無いので、何とも言えない状態である。

そして補聴器屋さんから「好きなビデオとかはどうしてます?」と質問Shi-マンは今まで見ていたビデオの台詞や音のタイミングや、仕草などを事細かに記憶しており、覚えているフレーズなどは、今も歌詞ははっきりしないものの、歌を歌っているなり。そして、ディズニーやジブリの新作でも、仕草など、目で見る情報のみでも現在は十分楽しんでおり、真似もしている。又知りたい物語や仕草になると、「何で悪い事しているの?」とか「今何て行ったの?」など、我輩に質問をしてくる。その都度、我輩とShi-マンの手話ボキャブラリーの許す範囲で説明をし、新しいキャラクターなどは、指文字で教えているし、Shi-マンも名前を覚え始めるなり。彼女は聞こえない環境でも十分楽しんでいるので、補聴器の必要性を全く感じていない。という事で、今も十分楽しんでいる事を伝えると、ちょっと困った顔をされたなり^^;

眼鏡なども、必要だからかけるわけで、必要性を感じていなければ意味ないよな〜って思うなり。前回の検査からすでにかなりの年月が経過しているので、今現在聴力がどの程度あるのか全くわからない状態なり。でも聴力がどうとかってのは、Shi-マンはどうかわからないけど、スケールアウトに近い聴力ダウンが起こってしまえば、無意味な検査ではと思ってしまっていまする。

この変は難しいよな〜^^;
ほとんど必要性を感じない補聴器を装着すべきか、否か....ご意見あったらコメントで宜しくであります。ほんと、自分に無い問題を解いていくのは立場に立たないとわからないっすからね〜(苦笑)

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2006年3月 1日 (水)

千葉ろう学校 入学説明会

一段と寒くなって天然ウォームビズの我輩でも体の芯から寒さを体感した1日であったなり^^;

寒い中Shi-マンを幼稚園まで送りその足で千葉ろう学校へ行ってきました。途中料金所前で追突事故が起きてて、事故渋滞(T.T) 千葉ろう学校へ到着は開始時間ぴったり!やった〜と喜びもつかの間説明会会場が何処かわからなくて(苦笑)うろうろ、とりあえず玄関に入ると行き方を教えてくださり、イソイソと行く....会場入り口では、小学部担当の先生が待っていてくださった^^;申し訳ございません!という事で説明会へ

入学にあたり色々と説明を受け、小中合同だったので、小学部だけでの説明が始まる。授業形態や持ち物など、人数が少ないからその都度質問OK で、熱い議論になった話題があった。
「短パン」である(笑)基本的に持ち物全て指定なし、で、短パンの概念が人それぞれで、質問の発起は我輩だったのだが、色や形が様々である。とにかく「自由」なので、何色でも、長さも自由中には「ブルマは?」と質問された方もあり(笑)担当の先生も頭をかかえて考えておられたなり。

短パン議論が決着してから我輩だけ残り個別相談となった。他の子供達は、公共機関を利用せず、通学出来るようで、我が家は特殊ケースにあたる。通学にかなりの時間を要する事、又Beたんの学校の下校時間と、Shi-マンの学校のお迎え時間が重なりどうすべきか、又、ろう学校では、補聴器を必須としており、1年以上前から補聴器を使わなくなったShi-マンは聴神経の検査も済んでおり、補聴器の必要性を感じておらず、本人も嫌がる事を伝えた。 ろう学校の子供達は難聴の子が多く、補聴器で音が拾える子が多いようである。現在補聴器を装着し、車の正面に耳を着けた状態でようやく車のクラクションが聞こえるShi-マンに対し、補聴器の有無について、入学後に話し合う事になった。

それと先に書いた通学の件であるが、1学期はまず学校生活に慣れる事が一番大事なので、初っぱなから、通学で疲れてしまうのも何なので、1学期は車通学をする事になった。2学期から除々に経験させる事になった。又登校時間も8時20分と普通の児童と変わらないが、1年生から5時限、週に一度は6時限まである。幼稚園から比べるとかなり大変になるが、頑張ってもらいたいなり。

色々と今の環境から変化する4月、どうなるなりかね〜^^;

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2006年2月27日 (月)

卒園準備 手話ソング

ぐずついたお天気なりね〜昨日26日にはグレースジジの49日法要を行いました。父ちゃんは雨男だったなりかね〜^^;

さて、先週水曜日に幼稚園の担任の先生から電話があり「又卒園の時にも手話ソングをやりたいのですが」と連絡があり翻訳する事になった。翌日木曜日に歌詞とテープをもらい夜に手話翻訳をし、翌日金曜日の午前中にプールに行ってから幼稚園へ行き、1時間程度で手話ソングの撮影をしたなり。

今回の歌は
●みんな みんな ありがとう
この歌は某幼稚園の子供達が考えて作詞した歌であります。という事は幼稚園児の言葉であるので、比較的子供達も覚えやすいと思われるなり。
●幼稚園 園歌
である。

本当は、手話通訳士でもある幼稚園のお母さんに依頼しようかと思ったのだが、なんせ我輩も時間が無かったので、仕方なく今回も自力で行った。前回の歌よりも文章も表現も難しくなかったので、何とか出来たかな〜という状態であります。
この歌は、クラスの全員が覚える訳ではなく、先生がShi-マンと思いを共有したくて、自ら申し出てくれたようである。本当に熱心な先生で、有り難い思いで一杯である。

Shi-マンが在園した事で始まった手話ソング。Shi-マンが卒園してからも継続して頂ければ本当に有り難い事である。卒園してからも幼稚園には、時々おじゃましょうかと思う今日この頃である。

そして、本日撮影したテープを編集しDVDに落としたものを渡してきた。その時に前回のお楽しみ会で披露した手話ソングの撮影を園長先生にお願いしたところ、快く承諾してくださいました。子供達の手のヒラヒラを是非手元に残しておきたかったので、感謝でありまする〜。

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2006年2月23日 (木)

手話サークル

日中はだいぶ暖かくなったなりね〜でもまだまだ陽が落ちるとね〜^^;

先週16日から同じ幼稚園のお母さんに誘われて手話サークルに行き始め、今日が2回目の参加でありました。このサークルは難聴、聾、健聴の方がいらして、日常会話にも手話が飛び交う男女年齢も幅広く参加されているサークルなり。

初めに今月の手話ソング「涙そうそう」を音楽にあわせて行った。手話ソングだけでも、かなりの手話を使うので、会話で覚えるよりも、歌にあわせて覚える方が健聴の方は良いのではと思ったなり。
それから、難聴、聾の方が役者になり、短い会話を声を出さずに行い、我輩達がそれを読み取る練習をした。読み取れるまで何度も手話をゆっくりとしてくださり、独学初心者の我輩的には本当に有り難い思いであった。

丁度冬期オリンピック開催中という事もあり、競技の表現や、オリンピックの話題が中心となった。途中、競技名を手話で表現する問題があったのだが、これも勉強と恥を忍んで前に出てしっかり参加してきたなり。

自分でやる手話と、相手の手話を読むとでは、本当に難しく、経験が〜と今回もつくづく思った次第であります。4月からShi-マンが千葉ろう学校へ行くけど、学校まで送ってから戻れば時間的にも参加可能なので、今後も迷惑でなければ(笑)参加させてもらおうと思ったなり〜

2時間のサークルが終わり近くの喫茶店に皆集まるというので、お誘いを受けてご一緒させてもらった。手話が未熟な我輩はなんとなく〜の意味はわかるんだけど(; ̄  ̄)健聴の方に通訳してもらいながらも、頑張って独学手話をしてきますた。難聴、ろうの方々も未熟な手話を熱心に読んでくださり、本当に有り難い思いであった。又日常会話もガハガハ笑いながら楽しくさせて頂きました。未熟ながらも通じると嬉しいなり〜(*^^*)
これからもがんばるじょ〜!という事で、さざんかの皆様宜しくであります。

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2006年1月24日 (火)

やっぱりキュード

今日も一段と冷え込んだ関東なり。おかげで、雪が全然溶けない^^; 今月一杯残るかもしれんの〜

さて、本日は幼稚園を公欠しShiーマンの入学体験として、千葉県千葉聾学校へ行ってきたなり。体験20分前には到着して玄関を入ると「学校体験は○○へ」と立て看板があり、作法室らしき部屋で待機。Shiーマンは「勉強するの」と、「高」に挑戦。象形文字みたいで、二人で笑いながら自習状態が続いた。

それから、正装の方が数名来られた。「体験なのに正装?我輩普段着(汗)」そして待つ事1時間、途中校長らしき方が何度か来られたので、「体験入学の〜」と声を掛けると待機場所が間違いだった事が判明。体験は終わりに近い状態、ようやく小学部の先生と対面、Shiーマンは子供達だけのクラスに行って遊び始めた(苦笑)

先生と簡単な話が終わり、待機中の保護者と対面、新参者の我輩はG-Houseの名刺を渡し簡単な挨拶、子供達を迎えに行く時間となった。

遊んでいるのを教室の外から覗いてみると...やっぱりキュード法にて先生は子供達と会話をしていた。
※キュード法
口話を覚えるための補助的なもので、人差し指をあごに当てると「あ」行、鼻に指を当てると「な」行で、口の開け方で「あいうえお」「なにぬねの」と区別し、五十音を発音と共に覚える方法


Shiーマンは、すでに指文字50音取得と手話の学習中である。本来キュードは必要ないと思うのだが、千葉聾の幼稚部や通園している子供達は、キュードにて会話をしている。手話を知らないので、友達と会話が成り立たない。従って少数派が多数派に合わせなくてはならず、Shiーマンもキュードを覚えなくてはノ仕方ないっすね〜^^;

体験後、他の保護者から「指文字覚えてるのに、もったいないね〜」とか「もう手話が出来るんですね〜」と、言われた。口話重視の学校は必ずキュード法必須。Shiーマンも現在話せている日本語の発音を忘れない為にも必要かもしれない。でもキュードは何か味けない気がする。手話だと、顔の表情とか、手話のスピードとかで、感情が読み取れるように思うなり。

健聴者社会では、口話が出来た方が有利だろう。千葉聾学校へ行くと決めたのだが、Shiーマンにとって良いのか悪いのか、我輩も良くわからないんでやんす〜~(-~-;)~

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2006年1月 4日 (水)

手話翻訳

あけおめである。冬休みモードから脱出しなくてはと思いつつも、まだまだ抜け切れない我輩であります。明後日からBeたんは学校が始まるし、そろそろ体内時計を戻さなくてはの〜~(-~-;)~

Shi-マンの幼稚園では積極的に手話関連のものを取入れてくれて大変有り難い幼稚園である事は前にも触れた事はある。Shi-マンんが5年間生きていた聴力から獲得した口話があり、又口話を読む力も持っている事から健聴者が足りない手話を取入れて行こうと協力してくれているのかと思うなり。

さて、昨年12月21日にShi-マンの担任から「この歌を手話でやりたいので、手話に訳して下さい。明日までに〜」と冬休み前に大きな宿題を出された^^; 
歌はNHK教育テレビの人気アニメ「忍たま乱太郎」のエンディング曲「世界がひとつになるまで」
とNHKおかあさんといっしょの「あしたははれる」の2曲である。
実のところ、この2曲聞いた事がない曲で(笑)頂いたカセットをエンドレス状態でまず覚える事から始めなければならなかった。「世界が〜」はサビの部分は手話ソングの本にも出ていたので、そのサビ以外のところとは言っても全部に等しい状態である。そして「あした〜」は短い歌ではあるが、これも全部である(汗)

我輩の手話は財団法人全日本聾唖連盟出版局の辞書を元に独学だし、日本語対応手話だし、完璧な手話とは言えない....だが出来る限りの事はと思い、歌詞通りの手話ではなく、園児でもやり易いように簡単な手話を用いて翻訳させてもらった。

翻訳した歌を覚えて翌日の終業後に我輩の手話のビデオ撮影...担任の先生は冬休み中にDVDに書込んだものでマスターを目指し、年明けからは子供達にビデオを見せて練習するそうなり。 ろうの方々が見たら「この手話違うよ」と指摘されるだろうが、時間も無かったので、今度聞いてみようかと思うなり。

ほんと日本語って複雑じゃの〜と改めて実感!こんな複雑な表現の多い日本語を視覚だけで覚えなくてはならないろうあの方々は本当に大変な苦労をされているのだろう。日本語も日本で生きていく為には大事だけど、まずはコミュニケーションが出来るように手話をと願っている事は本当であったと実感出来た瞬間でもあったなり。Shi-マン!我輩と頑張って行こうな〜(^ー^)

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2005年9月16日 (金)

全国ろう児の集い2005

ここんとこ関東は秋らしくなったなりね〜 我輩も今週半ばからプールを再開、先月1回しか行けなかったからの〜 今日はBeたんも振替プール日だったので、一緒にプールへ行き、1500m程泳いできました。その足でたかやんの職場(我輩とたかやんの母校)へ行き、剣道場を借りて空手の自主トレをしてきたなり。おかげで、下半身に変なダルさが(^-^;

さて、明日9月17日より表題の通りのものへShi-マンと共に参加してくるなり。場所は、国立オリンピック記念青少年総合センター(長ったらしい(苦笑))いわゆる代々木でやんす。そこに2泊3日の泊り込みで全国から様々な年代のろう者とろう児とその関係者(聴者)が計280名も大集合して行われる日本初の大会である。

年齢区分ごとにやる事は違うなり。Shi-マンは乳幼児クラスにていろんな遊びをするようである。我輩は別室で集中手話レッスンを行う事になった。

その前に不安な事が....はたして我輩が日常的に使っている独学手話は何処迄通じるのであろうか?である。手話辞書を元に使っている日本語対応手話....~(-~-;)~ Shi-マンはそんなのおかまいなしに、超楽しみにしているのだが、我輩だけ久々にドキドキモード全開である。 どうなる事やらとりあえず、当たって砕ける派の我輩なので(笑)頑張って行ってくるなり〜。

それよりも、明日の筋肉痛がかなり怖い( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

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2005年7月17日 (日)

日本語対応手話

梅雨明けしたんだろうか(^-^; 気が付くと水晶玉が生まれている....鼻の下に(笑)皆さん体調には気を付けてくださいな〜

手話には英語フランス語と同じような言語である「日本手話」、健聴者が日常的に話す日本語に併せて手話をする「日本語対応手話」がある。Shi-マンは日本語対応手話を使っていまする。2004年1月から聴こえが変?と思い、2月に高度難聴の初期と診断され、補聴器を装着、同年6月より難聴がさらに進んで、補聴器を大きくし、同年9月中旬、全く聞こえなくったなり。

補聴器を付け始めてから我輩がやった事。「聴こえているうちにひらがなを」と、公文のひらがなカードを使って指文字も併せて親子で学習。とは言ってもそんなに真剣になった訳ではなく、就寝前の10分の間に2〜3日に1回5個ずつ学習。指文字を覚えてからは、手話辞書を元に同じく就寝前に1日3〜4個の手話を学習。現在も継続中なり。

2004年9月までは、日常的に日本語で生活し、日本語を獲得出来ている経緯があるので、「日本語対応手話」を学習する事にした。もちろん母独学物なので、将来Shi-マンに文句を言われる可能性は高いが(^-^;それでも、健聴者の中で生活していく為には、必要不可欠なものではとの思いからである。それに現在は、健聴者の集団である幼稚園生活を送っている事もあるなり。

古和釜幼稚園では、手話の導入というよりは、日常的に使っている手話があったらという事でしたが、まずは、指文字からと御願いし自分の指をデジカメで撮影し(苦笑)パソコンで指文字一覧を作り、パウチしたものを幼稚園に渡して御迷惑なのを重々承知してはいるが、宜しく御願いした。又我輩で出来る事ならお手伝いもさせていただき、園長先生等とは幼稚園生活、将来、教育、今どきの保護者(笑)、等の事などつねに話合いの機会を作って、幼稚園に迷惑がかからないようには、どうすれば良いかと我輩も色々考えていまする。

簡単な手話も「明日、遊ぶ、危ない、ありがとう、言う、家、行く、痛い、一緒、うるさい、嬉しい、美味しい、泳ぐ、終わり」など、幼稚園生活で使うであろうものである。Shi-マンは口話を読む力が結構あるので、相手の表情が一番ネックになる事を伝えておいた。子供は覚えるのが早い!我輩も停滞中の脳を活性させ、日々努力しておりまする。

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2005年6月14日 (火)

国立筑波大付属聾学校 小学部訪校

現在幼稚園の年長さんであるShi-マンは来年進学となる。ご存知の通りShi-マンは聾者になったので、普通校では先生や友達との会話もおそらく「お客さん状態」になり、学力も同年代の子供同等には厳しいかな〜と我輩達夫婦は考え、聾学校へ進学させる事にしたなり。

今日の訪問先は「国立筑波大付属聾学校」である。到着してから一緒に校内を案内してくださった先生と簡単な面談をした。現在のShi-マンの聴力、難聴が始まった時期、ゴーシェ病の事、普段の様子など。そして、最初に言われたのが「現在の幼稚部の年長さんは、おそらくそのまま小学部へ進級すると思いますので、募集はかからないかもしれませんが、その辺はご了承下さい」と言われた。言われる前に、たかやん顧問の陸上の記録会が先々週に行われた時に付属聾の高校の先生からすでに情報として聞いていたので、さほどがっくしも来なかった。

最初は2学年が行う「算数」である。Beたんと同じ歳の生徒さんのクラスであった。我輩はもうちょっと見ていたかったんだけど、Shi-マンがすぐに飽きてしまい^^;早々に退室しなければならなかった。

その後1学年の「図工」を参観させてもらう事にというよりShi-マンは参加してきた(笑)今日は「かめたろう を つくろう」である。最初は「難しいから出来ない」と言っていたが、「ママが手伝ってあげるから」というと張切って参加していた。この時間は補聴器を付けた難聴の生徒と、Shi-マンと同じ時期に失聴したお子さんがいる2クラス計11名で行われていた。

先生から「○○をやりなさい」と指導され、その工程が終わると大きな声で「□□先生〜〜〜〜〜〜〜!」と先生への熱いラブコールが教室中に響き渡る(=^^=) テーブルを囲んだ中に先生はいるのだが、牛丼の吉○屋のごとく^^;呼ばれた先に次の工程に必要なものを配布しながら作業工程の説明を各自にしていく。そして全員に説明する時は注目し、手は膝の上にするよう指示。子供達もきちんとそれに習っていた。Shi-マンが通っている古和釜幼稚園に匹敵するような指導方法に我輩も好感が持てた。そして出来上がったものが写真のものである。梱包用のビニール風船と、ヒモと画用紙と割り箸であやつり亀が出来た。先生のアイデアにも凄いと思ったなり〜05

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2004年11月11日 (木)

検査日〜結果

今日はドキドキの検査日である。朝一番のスタートなので、午前8時までに病院に行く必要があり、自宅を6時ちょい過ぎに出動。前日に購入しておいた菓子パンを車内でぱくつきながら時間10分前に到着。