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2006年9月27日 (水)

子供達の色々

昨日一昨日とすごい豪雨でやんしたな〜。Shi-マンの送迎で通る学校の近くでは、開拓中の場所から豪雨と共に泥が流出していてカーブしている所に10cmぐらいの泥が道路一面に蓄積されていた。一般道なのに「ここは、オフロードサーキットかよ」ってなぐらい^^; お昼過ぎには、開拓の業者さん2名が角スコで懸命に除去作業をしておられた。ご苦労様であります。

まずShi-マン事
Shi-マンは現在月水金に体育の授業がある。普通小学校では考えられないが、幼稚部から専門科まである千葉ろう学校では体育の先生が指導してくださっており、体育会系の先生方の気さくな対応にShi-マンも喜んでおり、授業外でも給食を食べる食堂では、給食そっちのけで先生と話をしてしまい、他の子供達が食べ終わったのに一人でいつになるかわからないような時間をかけて食べる事になったり、廊下で合うと駆け寄って行き話をしたり、凄い奴だと思ったのは、先生のすね毛を抜こうとしたり、かんちょう〜!を平気でしたり^^;ほんと失礼極まりない態度をしておりまする。
月曜日にも体育があり、半袖短パンではちょいと寒い日でありました。この時にあまりの寒さに「今日は寒いからShi-マンは、見学なの」と先生に申告。本当かどうか確かめに担任の先生のところまで聞きに行った程(苦笑)我輩もいつも言っているのだが「演技派女優なので、気をつけてください」と体育の先生に伝えて頂いたようである。ろう児に大切な喜怒哀楽でありますが、それを演技と見抜くには、なかなか難しいものである。先生方にはご迷惑ばかりおかけしておりまする( ̄∇ ̄;)

そしてBeたん。唐突だが、彼はコアラであります。(動物占い)そしてそのコアラのごとくのんびり生活しているなり。ご飯を食べる時、宿題をやる時、お風呂に入る時、本当にマイペースなり。
ここ連日友達と放課後に遊ぶ日が続いている。そして学校から出されている毎日の宿題。当然始めるのは、夕方6時頃から。そして就寝までの時間に、宿題・夕飯・お風呂・明日の準備などしなくてはならないのであるが、宿題をしている最中に何度も「終わったの〜?」と聞かずにいると意識はモルジブへトリップしている事があるので、常に監視の目を光らせていなくてはならない^^; それにほとんどの時間が費やされてしまうので、就寝時間も押し押しになってしまう。遊ぶなとは言わないけど、もうちょっと早く〜と思うなり。我輩も直前まで動く事が無く、いつもギリギリになってしまうので、同じようなもんなんだけどね。自分事は棚の上であります(苦笑) まあ幼稚園の頃から比べたらコアラ精神も多少は進歩してきたのかなとは思うんだけどね。我輩も含めて1日が36時間欲しいと思う今日この頃であります。

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2006年9月18日 (月)

栗ご飯

今日は久々千葉は蒸し暑い^^; 夕飯の支度をしながらも汗がダラダラと...でも痩せない(苦笑)
それは、おいといて、先日知人から「自宅で沢山取れたから貰ってください」と沢山の生栗を頂いた。さて、何にしようか考える。茹でるだけじゃ能が無い。それに食べるのが面倒クサイ。という事で、結婚して初めてになるであろう栗ご飯を炊く事にした。

日曜日の夕飯が終わってから生栗を剥く作業に入った。量的には30〜40個あったかな〜?とりあえず、小出刃包丁で剥き始める。すると同居の義母が「栗剥きナイフあるわよ〜」と出してきてくれる。何でも持ってるんだな〜って「今まで使った事無いだろうに」と、突っ込みそうになるも我慢我慢(笑)そんな義母とは、家庭で色々あって^^;まともな会話をここんとこしなかったんだけど、目線は栗に集中しつつ、色々な話をしたなり。

万能そうな栗剥きナイフだが、皮剥きは厳しい事が判明(意味無いじゃん)そこで、小出刃包丁で皮剥きをして、渋皮を栗剥きナイフで行く事にした。1個1個皮剥きをしていくも、結構これが堅いんだよね。最初に軽く茹でてからやれば良かったんだけど、それも面倒だったからそんな事はしなかった。そして栗剥きを楽観視していた....が、甘かった
10個ぐらいまでは、良かったんだけど、それからが、地獄の皮剥きになったなり。使っているのが、小出刃だから、ザクザクやる訳にもいかず、神経を集中させてやらねば出血大サービスにもなり兼ね無いしね。3〜40個の皮剥きが終わる頃には、両腕がパンパンになっている程(苦笑)それから栗剥きナイフで渋皮剥き。最初は、薄く薄くと思ってやっていたんだけど、両腕の疲労でだんだん微妙な加減が出来なくなってきた。そしてラスト10個になると大きな栗は小さくなる程に
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ  気が付けば栗剥きをスタートして1時間30分もの時間が経過していた。恐るべし生栗である(笑)終わってから、3階に行きたかやんに「指が開かないし、伸びないんだけど〜」と腕をマッサージしてもらった(ダメじゃん(^-^;)

そして本日栗ご飯を決行。塩とみりんで灰汁抜きも含めて軽く煮て、その後といだお米に普通の水を入れ、お酒、みりん、塩で味付けをしてから栗を入れ普通に炊いた。炊きあがったものは、初めての栗ご飯だったが、我輩的には良い出来になったと思う。食卓に出した時にも炊き込みご飯が嫌いなShi-マンからもOKを頂いたし、やれやれである。「今日の栗ご飯は、汗と疲労の結晶だから心して食えよ〜」と伝えたなり。苦労をアピールしちゃあダメだんだけどね(笑)でも美味しいと言ってもらえるから、又頑張ろうと思う一応母ちゃんでもある我輩でありました。

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2006年9月17日 (日)

口話・日本語対応手話・キュード法

2学期がスタートした。夏休みの間のShi-マンとのコミュニケーションは我輩が日本語対応手話をし、Shi-マンは口話、家族とは、読唇&口話で生活してきた。
そして新学期学校では、先生、クラスメートとはキュード法でのコミュニケーションなのだが、夏休みにほとんど使っていなかった我が家では、キューサインのスピードがかなり低下していたようである^^;

もともとキューの必要性に難色を示していた我輩ではあるが、クラスメートは幼稚部から在籍し、コミュニケーションもキューサインで取っていた事もあり、かなり前にも記載したが、学校でのコミュニケーション手段としてキューサインを使わなくてはならない情況から我輩もShi-マンも覚えたなり。
5歳の時から指文字を使っていた我輩とShi-マンなので、キューサインは比較的容易に覚える事が出来たし、Shi-マンは本当に流暢にキューサインを使う。子供の頭は本当に柔らかい。それに比べて我輩は、一文字一文字頭で考えながらでないと、キューサインが出てこない
( ̄∇ ̄;) 我輩がキューサインをしている途中から、話の内容を汲み取った子供達は、我輩にキューサイを教えてくれるのである。37歳とはいえ、脳年齢は50歳ぐらいではと不安がよぎる程である(苦笑)

新学期に入ってから担任の先生より「簡単な手話単語を今学期から少しずつ取り入れて行こうかと思います。日常会話でキューサインよりは、手話を取り入れた方が会話も早くなりますからね。」と説明があった。1学期の時からすでに「トイレ」「早く」「帰る」「遊ぶ」「勉強」など学校で頻繁に使う単語に関しては手話を使ってくれていたので、我輩的には、嬉しい限りである。ただ、現段階でも手話には、方言などもあり、地方特有の使い方があるので、全国で統一されている手話を使ってくれたらな〜と思っておりまする。書店でもかなり多くの手話の本が販売されているが、手話表現が異なっている事も少なくないので、全日本聾唖連盟日本手話研究所から出版されている日本語-手話辞典を使ってくれたらな〜と思っているなり

それにしても、Shi-マンには、脱帽であります。人によってコミュニケーション手段をコロコロ変える事が出来るってのは、基本に日本語があるにしても凄いよな〜同じような柔らか頭が欲しいなり(笑)

それと、日本語対応手話を使っていて思うのは、「て、に、と、は、が、」など助詞の使い分けがまだ十分ではないなり。日本語対応手話とは言っても、書記日本語と同じ順序で手話単語を並べている事が多く、早く伝えたい時や叱る時(笑)などは、単語の羅列だけになる。書記日本語を獲得するには、助詞は絶対必要であり、助詞の使い方次第では、ほんと変な日本語になっちゃうんだよね。
我輩達健聴者は生まれながらに耳から大人達やテレビからの日本語を意識する事なく聞いていたからそんなに変な使い方はしていない(と思っているのは自分だけだったりして)と思うんだけど、耳からの情報が無い難聴・ろう児にとっては、助詞の使い方はなるべく早いうちに覚えた方が良いんだろうな〜。学校での板章をそのままノートに写すだけだと身に付くのに時間がかかるだろうし、ある程度の年齢になって文章は凄い物を書いていても話すとあれ〜って事にもなりそうな気がするなり。

まだ、ろう児の母(父かも^^;)になって2年程度だからどれが良い、悪いってのは、何とも言えないけど、5歳まで獲得出来ていた口話を彼女がチョイス出来る年齢までは衰えさせる事が無いようにしないとな〜と思っているまする。
そうそう、ちょっと前に千葉県こども病院でBARの検査を受けて耳鼻科の医師との会話になった時に
「こんなに聞こえない情況なのに、会話のボリュームを調整出来る事は凄い事ですよ〜」と言われた。ほんと我輩達は、自分の声が聞こえるから声のボリューム調整を普通出来ているわけだが、聞こえないShi-マンはどうやって調整しているんだろうかの〜と思うっす。そのうち彼女から説明してもらいたいなり。
彼女の口から色々と聞こえなくなった時の事とか、今の現状とか、そのうち色々聞いて理解してかなくちゃって思ってます。さて、その時には、どんな言葉が出て来るやら、(^_^;アハハ…

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2006年9月 7日 (木)

早瀬憲太郎さん講演会

開催されますた早瀬憲太郎さん講演会
当日は、ろう学校のShi-マンの同級生の親御さん3名もご一緒に参加
朝Shi-マンを学校に送ったその足で地元船橋へUターン
午前9時45分に会場へ到着。そして講演会担当のKさんと一緒に早瀬さん登場。
昨年9月代々木で開催された「全国ろう児の集い」の時にお目にかかって以来である。少しスリムになられたようで、我輩は羨ましい気持ちになりました(笑)
昨年のこの集いでお目にかかった事を手話で少しさせてもらい、テレビでも拝見しましたよ〜とお伝えしたなり。

そして一応司会は承諾したものの、当日手話通訳もしてくれるようだったので、安心してたんだけど、Kさん曰く「通訳はいらないでしょ〜大丈夫!」と何の根拠も無く手話通訳却下( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
という事で、早瀬さんの紹介は色々文章では考えていたんだけど、ヘタ糞な手話で超簡単に紹介させてもらったなりY(>_<、)Y ヒェェ!

講演会では、早瀬さんの育ってきた環境や、ろうの歴史、健聴者とのギャップなど色々な事を教えてもらったなり。幼少期から普通に使ってきた日常手話。そして健聴者の世界での意思疎通のギャップ。ろう児を支えている学校の教員の事。時には、面白可笑しく、時には、真剣に。手話表現もズブの素人の我輩が見てもわかるような素晴らしいメリハリのあるもので、我輩も将来的には、早瀬さんのような手話が出来るようになりたいの〜と思った次第であります。

■ろうの歴史■
ろうの歴史を聞いた時、頭をよぎったのが、「治療薬が無い時代を知らない患者と家族達」とか「戦争を知らない子供達」であった。
・ろうの方々のご苦労があり、今のような環境がある。
・治療薬の無い時代のご苦労があり、今のような環境がある。
・戦争でのご苦労があり、今のような環境がある。

我輩は上記の全てにおいて「知らない人」である。かと言ってそのご苦労をないがしろにしている訳ではないが、現在においてないがしろにされがちな風潮にあると思うなり。「そんな苦労があったんだ〜だから何?」って感じでね。確かに過去の苦労を称えよとか、同じ苦労をしろとか、強制するような事では無いかもしれないが、苦労されてきた方々がいたからこそ今自分達はいい環境で生活出来ているわけである。(まだまだ改善しなくてはならない事も多々あるけどね)
その恩返しではないが、少しは自分達も何かに協力しようとは考え無いのかな〜って思うなり。過去の事は関係ないし、「今は問題無いでしょ」って思いで生きている人が大半を占めてるよな〜って。ろうの事やゴーシェの事はまだまだ身近な問題だから我輩も協力せねばって気持ちになるけど、戦争となると、「今は問題無いでしょ」の部類に入ってしまうかもしれないっす。これは反省しなくちゃならないけど、何かに協力とは言っても何をすればって状態になるのかな〜?
ゴーシェも、ろうも、何をすればになるんだろうな〜。
我輩が難病の世界に入って早いもんで7年、難聴・ろうの世界に入って2年になりまする。Beたんが生まれた時には、ゴーシェも国内での治療薬が承認されていたし、Shi-マンが難聴になった時には、指文字も手話もあったしね。戦争ははるか彼方の事、総司令官が生まれる前の出来事であります。だんだんと年を重ねるごとに昔の苦労は考える人が少なくなってくるんだろうな〜って感じておりまする。

昔の事だからではなく、昔の事だからしっかりと背景を学び、今の自分達がどれだけ幸せかと実感する事で、優しい気持ちを持ち続けてくれたらな〜って思いまする。だから今を生きている我輩達は、過去の事を恩着せがましくではなく、次の世代へ語り続けなくてはならないな〜って思いまする。

(! ̄  ̄)ちょっとエラそうな事を書いてしまったなりね〜(苦笑)みなさんは、このような過去の事をどのように受け止められているなりか〜?

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2006年9月 6日 (水)

新学期スタート他

新学期スタート!
夏休みボケがたたって、先週の金曜日からスタートした新学期はとても変な感じ...
時計を見て「今この時間には、いつも何やってたっけ?」って状態でありまして、いつもなら、この時間には、これをやっておかなくてはならないから〜と計画的に動いていたんだけど、ボケボケしておりました(苦笑)
そして土日を挟んで今週から通常日課がスタート。又、今月から我輩が通っているNASスイミングスクール(ジムもある)のマスター会員になり、日本全国何処のNASでも通えるようになった。丁度Shi-マンが通っている千葉ろう学校から車で5分ぐらいの所にNASがある事がわかったので、これからは、Shi-マンを送ってその足で行けば毎日2往復する必要も無くなるだろう!と思ったのである。が、一応主婦である我輩は、出っぱなしという訳にも行かず、一度帰宅して洗濯したり、用事を済ませてからになってしまうなり。でも、学校の近くのNASに行けるようになったので、駐車場代はかからないし、お迎えの時間に間に合わない!なんて事もなくなる訳であります。

後問題となってくるのが、モバイル環境!前にも書いたけど、ほんとこれが一番重要なんだよね。仕事をするなら、今は家だけが頼り状態だし、外でも出来ない事は無いけど、あれも持ってこれも持ってじゃかなり面倒だし、あっちで作成したものを又こっちに移してじゃあ能率が悪いし、色々考えてはいるんだけど、どうしたらと思っております。いっそのこと、持ち運び可能なノートパソコンを仕事用に変更しようかとも思案中であります。あっちこっち移し変えるのも面倒になってきたしの〜色々と自分の環境をShi-マン送迎モードに移行しなくては^^;

話は変わるが、明日は我輩が通っている手話サークル「さざんか」の講演会「早瀬憲太郎in船橋」が開催されまする。先日NHKの「ろうを生きる・難聴を生きる」にてデフムービー「迂路」製作をされた監督さんと一緒に出演されていたし、又奇跡体験アンビリーバボーにて放映された日本初の難聴者の薬剤師となられた早瀬久美さんのご主人でありまする。その早瀬憲太郎さんの講演会のチラシ作成を依頼され、白黒限定という事で、簡単なものを作成させてもらった。それプラス当日の司会も頼まれてしまいまして、いやはや、手話もまだまだなのに〜って感じですが、出来る限り頑張ってやろうかと思っておりまする。まあ、いつも通りにとはいかないのですが、当たって碎ける奴ですから(笑)何とかなるでしょう。詳細は後ほどご報告しまする。
ではでは〜(^^)/ジャネ

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