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2005年3月17日 (木)

グレースじじ その後

3月2日に父ちゃんの肺がんの手術が行われた。前処置があるので、朝の9時30には病院入りし、筋肉注射やら、術前の処置が色々と行われた。

手術の数日前に国立ガンセンターの執刀医である菱田先生と永井先生から手術の説明を受けた。父ちゃんのガンは進行が早いもので、現在は喉から降りてくる気管支が2股に分かれ、分かれた右側がさらに3股に分かれてそれぞれに肺が付いているのだが、3股の一番上の気管支にガンができており、そのガンも2股を覗き込んでいる状態であるという。後は開いてみないとわからないが、取り除けない程広がっている場合、右肺全て摘出する、あるいは最悪中止して閉じると説明を受けた。そんな説明を受けていたので、午後1時30頃にオペが始まってからいつ呼ばれるか(短時間で呼ばれた場合は最悪の場合であるので)ドキドキしながら待合室で待機していた。

普通の場合は3時間程度で扁平上皮がんのオペは終わるらしい。全身麻酔になるので、術前麻酔導入の1時間と術後覚醒の1時間と計5時間が平均的であるらしい。父ちゃんの手術は4〜5時間程度かかり、術後覚醒した父ちゃんと面会出来たのは午後8時を回っていた。

面会前に執刀医の菱田先生から出血も少なく輸血する事なく手術が成功した事を聞いた。ただ、かなりの範囲にガンが広がっていたので、目で見える限りの切除可能ギリギリの所まで摘出したと説明を受けた。(目で見える限り=見えない範囲が残っている可能性があるという意味)それでもとりあえず無事手術が終わった事にほっとしたのも事実である。

術後半日程度はICUで様子を見る事になっているので、総司令官事母ちゃんと妹のmi^tanと我輩で面会に行った。父ちゃんに「無事に終わったよ〜」と声をかけると術後で、声が出せないにもかかわらず、地獄の底から絞り出すような声(もともと低音域の声である)で「おお!」と返事をしたり、首を左右に振ったりして返事をしていた。術後は血色も悪く、一昨年亡くなった義父の死に顔を思い出してしまった程である。「父ちゃんも死んだらこんな感じなのかな〜」と不謹慎にも想像してしまった自分に反省したのも事実なり(^-^;

その後もさらに追い討ちをかけるように波乱万丈な事が起ってしまったのである〜 続く

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波乱万丈その1

今年の1月に不条理にも家族の同意なく近所の総合病院で「ガン」の告知を受けたグレースじじ。その前後を境にちょいと様子がおかしくなってきた。

昨年末に「自立神経失調症」用の薬として「デパス 0.5」という安定剤を処方されたなり。その薬を毎日1回1錠を3回飲んで様子を見る事になった。
飲んで数日後が丁度大晦日だったのだが、おせち料理用の煮豆を食べようとしたら、箸で旨くつかめず、何度も何度も落としたり、食後すぐに眠いとコタツで横になって寝てしまったり、あげくには、トイレへ行くと言って庭側の窓を開けようとしたり。元々薬をほどんと飲んだ事が無い父ちゃんであった為、効き過ぎてしまったようである。あわてて、飲ませるのをやめるとしばらくして元に戻ったので、やれやれであった。

それが昨年末の出来事で、今年の1月に告知されてからは、様子の異変に拍車がかかり、「次病院へ行くの明日だっけ?」と何度も聞き返したり、夕方母ちゃんが帰宅しても電気も付けずに家のこたつでボーっとしていたり...

肺がんの手術の為、入院してからも様子は良くなる事なくさらにひどくなった。我輩と母ちゃんとで昼食を外で取る為、父ちゃん1人を病室に残して食事に出かけた。そして、戻るとベットに父ちゃんの姿が無い....慌てて入院フロアを探すも父ちゃんの姿は見当たず、母ちゃんが探しに行くも見当たらない。どうしたもんかと思った矢先に父ちゃんが登場!

父ちゃんは笑いながら「看護婦に笑われちゃったよ」と言っていた(^-^;

我輩達が出かけたその後術医が病室を訪れたので、我輩と母ちゃんを探しに行くも、自分の入院したフロアもヘや番号も覚えておらず、病院内で迷子になってしまったようである。
手術の説明を術医から受ける時も、麻酔医からの説明にも理解していないのに、あたかも知っているがごとく「経験してるからわかってるから」と答えていたし、同意書へ自分の名前を書くも苗字の途中で漢字を忘れてしまい書けなくなったりと不安は募るばかりであった。

入院してから毎日ネブライザーと、呼吸の訓練をするのだが、それらの有効な利用法を何度教えても覚えられないのも気掛かりであった。入院した時から看護士さんと術医にちょっと痴呆っぽい症状が出ている事を伝えたところ入院エリアから出るとアラームが鳴るような札を父ちゃんに付けてくれた。

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波乱万丈その2

続き...
術後のICUで面会した時には、我輩達の呼びかけにもちゃんとした対応をしていた父ちゃんであったが、術後1日以降からはさらに様子がおかしくなっていた。現在自分が何処にいるかも、何故いるかも理解していないようであった。ただ、術医や看護士が回診に来る時は笑顔で接していた。日中眠る事が多く、ネブライザーや呼吸のリハビリもそこそこであった。ただ、術後にしなくてはならない痰を出す行為だけは問題なくきちんと出来ていた。

そして術後3日目には全ての管が取り除かれ驚異的な回復力を見せていた。そしてその日の夜に事件は起った。日中眠る事が多かったせいで、夜間は全く寝なかったようで、ナースステーションに一番近い病室という事もあり、夜間は頻繁にウロウロしていたようである。ナースステーションを通過してエレベーターホールに出ると身に付けているアラームが鳴り出す。夜間は看護士さん2人で50名を見なくてはならなかったので、アラームが鳴る度に飛んで行くという事が繰り替えされ、仕事にならなかったようで、エレベーターホールの椅子に座っているという父ちゃんの言葉を聞きアラームを消しておいたようである。

そして様子を見に看護士さんが戻った時には、すでにその場に父ちゃんの姿はなく、あわてて管内を当直医を含めて皆で捜索していたようだ。が、父ちゃんの姿はなく、病院から実家に電話が入り院内にいないので、警察に捜索願をすると連絡が入った。総司令官とmi^tanが病院に到着してもまだ捜索は続いていた矢先、午前4時頃冬の寒空に寝巻きとサンダルで約1kmの所を歩いていたところを捜索中のパトカーに無事保護された。やれやれである。

それからは、夜間も付添いを行い退院も日程を早め、3月7日に退院する事となった。深夜の徘徊があったにもかかわらず、肺炎を起こさず、一安心だった。だが、付添いをした総司令官もmi^tanも安眠出来なかったようである。又日中も含め、外の窓を見ながら、「あそこから誰か覗いちょる」「ここから早く出んにゃ」とか、「もう帰るぞ」と帰ろうとしたり、壁の汚れを見て「塩素がびっしり付いちょる」など、幻覚を見る事もしばしば見受けられたのである。そんな父ちゃんが帰宅してくる。前途多難な在宅生活...不安は一層募るばかりである。

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